旧東海道鈴鹿越えの宿場町・城下町として栄えた亀山市の観光スポット

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亀山市 観光旅行
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三重県亀山市は、旧東海道の難所として知られた鈴鹿峠の麓にある宿場町として、また伊勢亀山藩6万石の城下町として栄えたところです。今でも古くからの寺院や城跡などがみられるほか、東名阪自動車道や伊勢自動車道などの主要交通の結節点として大きな役割を果たしています。

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亀山城跡

亀山城跡

「亀山城跡」は、鎌倉時代の文永2年(1265)に関実忠が築いたのがはじまりで、その後現在地に遷されたとされる城郭の跡です。安土桃山時代から江戸時代の初めにかけて、城主となった岡本氏や本多氏の手によって大規模な改修が行われています。江戸時代を通じて伊勢亀山藩主の居城となり、城下町が栄えました。

寛永9年(1632)、一国一城令に伴い幕府から丹波亀山城の天守破却を命じられた堀尾忠晴は、誤ってこの伊勢亀山城の天守を取り壊してしまいましたが、代わりに建てられたのが「多門櫓」で、三重県史跡に指定されています。

亀山城跡
■所在地:三重県亀山市本丸町
■電話番号:0595-96-1218(亀山市市民文化部文化課まちなみ文化財グループ)
■公式サイト:
■交通アクセス:東名阪自動車道名阪国道「亀山インターチェンジ」から車で5分/JR関西本線・紀勢本線「亀山駅」からさわやか号(Bライン)乗車3分、「市役所前」バス停下車
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亀山神社

亀山神社

「亀山神社」は、亀山城の西出丸跡に鎮座する神社で、江戸時代に亀山城内に祀られていた真澂神社(ますみじんじゃ)を前身としています。明治時代の廃城令でいったん城外に移されましたが、ふたたび城内に戻されました。祭神は亀山藩主・石川氏の祖である源義家らであり、明治時代に式内社・真木尾神社などを合祀しています。

神社境内には亀山市指定文化財の「宝篋印塔基礎部」があります。今の亀山西小学校の運動場拡張工事の際、取り壊された本丸石垣のなかから発掘されたもので、この地に「善導寺」という寺院があった時代の名残とみられています。「宝篋印塔基礎部」の高さは53.1センチメートル、幅・奥行は77センチメートルであり、「正慶元壬申年七月十日」、西暦1332年の紀年銘があります。

亀山神社
■所在地:三重県亀山市本丸町572
■電話番号:0595-82-1779
■公式サイト:
■交通アクセス:東名阪自動車道名阪国道「亀山インターチェンジ」から車で5分/JR関西本線・紀勢本線「亀山駅」からさわやか号(Bライン)乗車3分、「市役所前」バス停下車
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明治天皇行在所(あんざいしょ)

明治天皇行在所

「明治天皇行在所」は、明治13年(1880)、大阪鎮台・名古屋鎮台兵対抗演習に伴う行幸の際、明治天皇が宿泊された建物です。当時、行在所と定められたのは東町の伊藤市治郎宅でしたが、亀山西小学校敷地内など何度か別の場所に移築された後、現在は亀山城跡の「多門櫓」わきに保存されています。

この建物は、玉座として使われた八畳間などの遺構の一部であり、昭和14年(1939)に三重県の史跡に指定されました。

明治天皇行在所
■所在地:三重県亀山市本丸町574
■電話番号:0595-96-1218(亀山市市民文化部文化課まちなみ文化財グループ)
■公式サイト:
■交通アクセス:東名阪自動車道名阪国道「亀山インターチェンジ」から車で5分/JR関西本線・紀勢本線「亀山駅」からさわやか号(Bライン)乗車3分、「市役所前」バス停下車

本久寺

本久寺

「本久寺」は、亀山市御幸町の市街地を見下ろす高台に位置する法華宗陣門流の寺院です。亀山藩主を務めた石川家の菩提寺で、歴代当主の位牌が納められています。ほかにも鈴鹿川などの治水工事に尽力し百姓から慕われた亀山藩士・生田理左衛門の墓があります。

この寺院にある「茶室半鐘」は、江戸時代の絵師・英一蝶(はなぶさいっちょう)が下絵を描いたもので、四面にわたって山水図が陽刻された、高さ60センチメートルほどの銅鐘です。英一蝶はもともと伊勢亀山藩の侍医・多賀伯庵の子として生まれましたが、藩主・石川昌勝(憲之)に絵の才能を見出されたことから、その恩義に報いるため、昌勝の嗣子・石川義孝に茶室用の半鐘として贈られたといいます。義孝の没後に本久寺に下付され、現在では亀山市の指定文化財となっています。

本久寺
■所在地:三重県亀山市御幸町302
■電話番号:0595-82-0182
■公式サイト:
■交通アクセス:東名阪自動車道名阪国道「亀山インターチェンジ」から車で10分/JR関西本線・紀勢本線「亀山駅」から徒歩5分

関宿

関宿

「関宿」は、旧東海道の宿駅のひとつで、江戸時代の宿場町の町並みがよく残っていることから、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。江戸時代の宿場町の区域よりも北側の山際からは、奈良時代の「鈴鹿関」の遺構とみられる築地なども発見されており、古くから交通の要衝であったことがうかがわれます。

地区内には江戸時代の町家を保存・展示している「関まちなみ資料館」、大名が参勤交代の際に宿泊した本陣の跡や、日本最古の地蔵菩薩を本尊とする「関地蔵院」などがあり、およそ1.8キロメートルにわたって伝統的な町家が連なる街道を散策することができます。

関宿
■所在地:三重県亀山市関町中町・関町新所
■電話番号:0595-84-5074(亀山市産業環境部商工観光課観光・地域ブランドグループ)
■公式サイト:
■交通アクセス:名阪国道「関インターチェンジ」から車で5分/JR関西本線「関駅」から徒歩10分

関地蔵院

関地蔵院

関地蔵院」は、国の重要伝統的建造物群保存地区である「関宿」の通り沿いに位置する真言宗の寺院です。奈良時代の天平13年(741)、行基が開創したと伝えられており、日本最古の地蔵菩薩を本尊として祀る寺院として有名です。江戸時代には東海道を往来する多くの旅人たちから崇敬を集めていました。

境内にある「愛染堂」は室町時代に建立されたもので、江戸時代に建立された「本堂」「鐘楼」とあわせて国の重要文化財に指定されています。

関宿
■所在地:三重県亀山市関町新所1173-2
■電話番号:0595-96-0018
■公式サイト:【非SSL】
■交通アクセス:名阪国道「関インターチェンジ」から車で5分/JR関西本線「関駅」から徒歩10分

関観音院

関観音院

「関観音院」は、天台宗福蔵寺の末寺で、平安時代の弘仁11年(820)に開創され、当初は「関西山福聚寺」と称する真言宗の寺院であったといいます。中世には土豪の関氏の祈願所となりましたが、後に兵火により焼失し、かろうじて難を免れた本尊の十一面観音は、関宿を見下ろす観音山の岩屋にしばらく祀られていました。江戸時代の寛文5年(1665)、街道筋の現在地に堂宇が再建されて「関西山観音院」となり、江戸時代末期に天台宗に転じ、明治時代にいったん廃寺となったものの、その後も地域の信徒の手によって守られてきました。

「関宿」の町並みのなかで街道筋に面する寺院はこの「関観音院」と「関地蔵院」だけであり、境内には方三間の本堂と御旅町公民館が建ち、本堂前はベンチやブランコがあるちょっとした広場になっています。

関観音院
■所在地:三重県亀山市関町新所1640
■公式サイト:
■交通アクセス:名阪国道「関インターチェンジ」から車で5分/JR関西本線「関駅」から徒歩10分