城下町の面影残す但馬の小京都・豊岡市出石の観光スポット

出石城下町

2025年1月31日観光旅行

兵庫県豊岡市出石(いずし)地区は、近世に出石藩仙石家5万8千石の城下町として栄え、現在でも当時の面影を見ることができます。春の桜に彩られる出石城はじめ、天にそびえる辰鼓楼、通りに並ぶ出石そばのお店など、風情あふれる町並みは、「但馬の小京都」として知られます。

出石城跡

出石城

「出石城跡」は、慶長9年(1604)に小出吉英(こいでよしふさ)が築いた城郭で、それまで山名氏が居城としていた有子山城を廃し、山麓の部分を拡張して整備したものです。小出家が無嗣断絶すると、短期間だけ松平家が城主となり、その後は仙石政明が信州上田から5万8千石で入封しました。以来、天保6年(1835)にお家騒動「仙石騒動」で3万石に減封されるものの、明治維新まで仙石家が代々の藩主を務めました。

城跡には堀や石垣が残るほか、稲荷神社や感応殿などの建物があり、東西の隅櫓や登城門なども復元されています。毎年3月から4月にかけては「出石桜まつり」が開催され、城跡を中心にしてソメイヨシノや八重桜が満開となります。

出石城跡
■所在地:兵庫県豊岡市出石町内町
■電話番号:0796-52-4806(出石観光協会)
■公式サイト:
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車30分、「出石」バス停下車

辰鼓楼(しんころう)

辰鼓楼

「辰鼓楼」は、明治4年(1871)、旧三の丸大手門脇櫓台に建設された鼓楼で、出石城下町のシンボル的な存在です。もともとは辰刻(午前7~9時)に時を告げる太鼓を打つための櫓でしたが、明治14年(1881)、地元の医師・池口忠恕(ちゅうじょ)が大時計を寄贈したため、以後は時計台として機能するようになりました。

調査の結果、「辰鼓楼」が時計台として稼働しはじめたのは明治14年9月8日のことで、札幌市時計台よりも27日遅れのため、惜しくも「日本最古」の時計台とはなりませんでしたが、9月8日は特別な記念日として木造4層の内部が一般公開されています。

辰鼓楼
■所在地:兵庫県豊岡市出石町内町
■電話番号:0796-52-4806(出石観光協会)
■公式サイト:
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車30分、「出石」バス停下車

出石神社

出石神社

出石神社」は、出石城下町の北2キロメートルほどの場所にあり、但馬国の「一宮」(いちのみや)であることから、これが転じて「一宮(いっきゅう)さん」と呼ばれています。創建については明らかではありませんが、社伝によれば奈良時代に谿羽道主命(たんばのみちぬしのみこと)と多遅麻比那良岐(たじまひならき)が天日槍命(あめのひぼこのみこと)を祀ったのがはじまりとされます。

天日槍命は、『日本書紀』によれば新羅の王子で、日本に聖王がいると聞いて八種神宝を持って海を渡ってやってきた渡来神であるとされ、出石の開拓神として信仰されています。神社の境内裏手には、一般の立入りを禁じられている禁足地があり、天日槍命の廟所であるといわれます。

出石神社
■所在地:兵庫県豊岡市出石町宮内99
■電話番号:0796-52-2440
■公式サイト:
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車20分、「鳥居」バス停下車、徒歩10分

此隅山(このすみやま)城跡

此隅山城跡

「此隅山城跡」は、文中年間(1372~74年)、山名師義(もろよし)が築いたとされる山城です。室町時代に但馬国はじめ全国の6分の1に当たる11か国の守護職を一族で独占し「六分一衆」と呼ばれた山名氏の本拠地となりました。永禄12年(1569)、織田信長の命を受けた木下秀吉により落城し、城主の山名祐豊は堺に逃れましたが、後に許されて但馬国に復帰した山名祐豊が代わりに築いたのが有子山城です。

「此隅山城跡」は、標高140メートルほどの山頂に長さ50メートル、幅10メートルの主郭を設け、ここからさらに山の尾根を削って多くの郭を設けて防備を固めたものです。国史跡に指定されており、山麓の「いずし古代学習館」裏手から山頂までの見学路が延びています。

此隅山城跡
■所在地:兵庫県豊岡市出石町宮内
■電話番号:0796-52-4806(出石観光協会)
■公式サイト:
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車20分、「鳥居」バス停下車、徒歩20分

出石家老屋敷

出石家老屋敷

「出石家老屋敷」は、江戸時代の出石藩の家老級の高級武士の邸宅として使用されていた建物を移築したもので、一部、耐震補強を施すなどの改装を行い、現在は資料館として活用されています。内町通りに面した現在地にはかつて、「出石騒動」の中心人物として獄門に処せられた出石藩大老・仙石左京の屋敷がありました。

白壁の土塀や大きな長屋門が特徴的な「出石家老屋敷」は、外部からの見かけは平屋建てですが、実は内部は二階建てになっており、隠し階段が用意されているのがユニークです。室内には槍や刀などの武具や、駕籠をはじめ大名行列に用いた諸道具などが展示されています。

出石家老屋敷
■所在地:兵庫県豊岡市出石町内町98
■電話番号:0796-52-4806(指定管理者 出石観光協会)
■公式サイト:
■営業時間:午前9時30分~午後5時(入館4時30分まで。水曜日、年末年始は休館)
■入館料:大人200円、高・大生120円、中学生以下無料。障害者手帳(アプリを含む)所持者半額
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車30分、「出石」バス停下車

諸杉(もろすぎ)神社

諸杉神社

「諸杉神社」は、但馬国の式内社のひとつで、天日槍の子である多遅摩母呂須玖神(たじまもろすくのかみ)を祀っています。もとは出石神社の近くにありましたが、天正2年(1574)、山名氏が有子山城に居城を移すに当たって現在地に遷座したということです。江戸時代にも仙石氏ら歴代の城主からの崇敬を受けました。

毎年10月に開催される例祭では、だんじりが出石城跡前でぶつかりあいう勇壮な「喧嘩だんじり」が見どころとなっています。

諸杉神社
■所在地:兵庫県豊岡市出石町内町28
■電話番号:0796-52-2440(出石神社)
■公式サイト:
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車30分、「出石」バス停下車

弘道館跡地

弘道館跡地

「弘道館跡地」は、江戸時代に出石藩の藩校「弘道館」があった場所です。安永4年(1775)に藩主・仙石政辰が開設したもので、その名前は論語の一説「子日はく、人能く道を弘むるなり」から採ったものです。全国には同名の藩校がいくつかあり、そのうち佐賀藩・水戸藩・出石藩のものは「天下三弘道館」と呼ばれています。

出石藩の弘道館では入学は藩士の子弟に限られ、200人ほどの生徒が儒学や兵学などを学んでいました。現在は石碑が建つのみですが、周囲には弘道館出身で明治維新後は官僚として活躍し「日本の天気予報創始者」といわれる櫻井勉の生家や、同じく維新後の神仏分離で弘道館正門跡に祀られるようになった「天満宮」などがあります。

弘道館跡地
■所在地:兵庫県豊岡市出石町材木2
■電話番号:0796-52-4806(出石観光協会)
■公式サイト:
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車30分、「出石」バス停下車

経王寺

経王寺

「経王寺」は、かつての京街道の丹波口、豊岡市出石伝統的建造物群保存地区の東端に隣接した日蓮宗の寺院です。室町時代の永禄年間に真言宗の寺院として創建され、江戸時代に北条氏政の血縁に当たる法音院日道により日蓮宗に改められました。

この寺院は出石藩主・仙石家の菩提寺のひとつで、8代・仙石久行や家老らの墓所があります。また、山門脇には櫓のような鐘楼があり、城下町を守るための軍事的な意図があるものとみられます。

経王寺
■所在地:兵庫県豊岡市出石町下谷6
■電話番号:0796-52-3241
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道「但馬空港インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線・丹鉄宮豊線「豊岡駅」から全但バス(出石行き)乗車30分、「出石」バス停下車、徒歩10分
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Travelogues
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