剣豪・宮本武蔵を生んだ自然あふれる出湯の郷・美作市の観光スポット

美作市

2025年1月19日観光旅行

岡山県北東部の美作市(みまさかし)は、鳥取県や兵庫県とも接しており、美作三湯の一つである湯郷温泉が湧く自然豊かなところです。剣豪として知られる宮本武蔵の生誕の地でもあります。

宮本武蔵生誕地記念碑

宮本武蔵生誕地記念碑

「宮本武蔵生誕地記念碑」は、熊本県の宮本武蔵顕彰会が当地を訪れ、武蔵生誕の地であると確認したことを記念して建立された石碑です。碑の正面には旧熊本藩細川家の当主・細川護成が「宮本武蔵生誕地」と揮毫しています。

宮本武蔵は、天正12年(1584)に美作国宮本村(今の美作市)で生まれ、13歳で新当流の有馬喜兵衛と闘って勝利して以来、生涯負け無しとされ、ことに佐々木小次郎との「巌流島の決闘」は有名です。後年、熊本藩主・細川忠利に招かれて肥後国(今の熊本県)に入り、霊巌洞で兵法の奥義書『五輪書』を記し、正保2年(1645)に亡くなっています。

宮本武蔵生誕地記念碑
■所在地:岡山県美作市宮本946
■電話番号:0868-78-3111(大原総合支所)
■公式サイト:
■交通アクセス:鳥取自動車道「大原インターチェンジ」から車で5分/智頭急行「宮本武蔵駅」から徒歩15分
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宮本武蔵生家跡

宮本武蔵生家跡

「宮本武蔵生家跡」は、二天一流の創始者である剣豪・宮本武蔵の生家があった場所で、ここで武蔵は幼少期を過ごしたとされています。かつては茅葺きの民家がありましたが、戦前に火災のために焼失し、現在は瓦葺きの建物に変わりましたが、大黒柱の位置は同じといわれます。

「宮本武蔵生家跡」の前には「宮本武蔵生誕地記念碑」が建つほか、付近には宮本武蔵ゆかりのさまざまな史跡が残されています。なお、見学ができるのは外観のみです。

宮本武蔵生家跡
■所在地:岡山県美作市宮本946
■電話番号:0868-78-3111(大原総合支所)
■公式サイト:
■交通アクセス:鳥取自動車道「大原インターチェンジ」から車で5分/智頭急行「宮本武蔵駅」から徒歩15分
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讃甘神社

讃甘神社

「讃甘神社」(さのもじんじゃ)は、「宮本武蔵生家跡」にほど近い場所に鎮座する、かつての讃甘郷の総鎮守で、天正年間の兵火で焼失したため現在の場所に遷座したとされています。拝殿は元禄8年(1695)に津山藩主・森長継が再建したもので、本殿には中央に大己貴命、左に味耕高彦根命、右に事代主命を祀ります。

宮本武蔵は幼少のころ、2本の撥(ばち)で太鼓を打つ情景をこの神社で見て、二刀流の兵法を思い立ったとされていて、宮本武蔵にゆかりの深い神社です。

讃甘神社
■所在地:岡山県美作市宮本132
■電話番号:0868-78-3111(大原総合支所)
■公式サイト:
■交通アクセス:鳥取自動車道「大原インターチェンジ」から車で5分/智頭急行「宮本武蔵駅」から徒歩15分
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宮本武蔵の墓

宮本武蔵の墓

「宮本武蔵の墓」は、武蔵神社脇の丘の上にあり、その父とされる平田無二斎の墓石とともに並んでいます。

剣豪・宮本武蔵は客分として招かれていた熊本で亡くなり、大恩を受けた藩主を死後も見守るべく、参勤交代で通る街道筋に甲冑を着せて埋葬せよと遺言したといわれます。宮本武蔵を埋葬した墓とされる場所は、熊本市西区島崎7丁目の「西の武蔵塚」などいくつかの候補がありますが、熊本市北区龍田弓削1丁目の武蔵塚公園にある「武蔵塚」(東の武蔵塚)がよく知られており、明治40年(1907)に有志による顕彰会が「新免武蔵居士」と刻む墓石を建てました。

これに対して、美作市宮本にある墓のほうは、養子である宮本伊織が熊本から分骨して建てた墓と伝えられています。

武蔵神社

武蔵神社

「武蔵神社」は、剣聖・宮本武蔵を祀る神社として、昭和46年(1971)に寄付を募って創建された新しい神社で、「宮本武蔵の墓」に隣接しています。生涯無敗の戦績をもつ宮本武蔵にあやかり、合格祈願や必勝祈願のパワースポットとして人気です。

宮本武蔵の墓
■所在地:岡山県美作市宮本1180
■電話番号:0868-78-3111(大原総合支所)
■公式サイト:
■交通アクセス:鳥取自動車道「大原インターチェンジ」から車で5分/智頭急行「宮本武蔵駅」から徒歩15分
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