古代ロマンあふれる神話のふるさと・出雲市の観光スポット
島根県の東部にあって、神話につらなる古代からの歴史と文化をもつ出雲市には、縁結びスポットして有名な「出雲大社」をはじめとするさまざまな名所旧跡があります。出雲市の観光入込客数は例年1千万人以上と、県内外から多くの人たちを集めています。
出雲大社
「出雲大社」は、出雲市の八雲山山麓に鎮座する、日本最古級の神社です。『古事記』や『日本書紀』にもその名がみえ、大国主大神が高天原の天照大神に国譲りをした際に造営された「天日隅宮(あめのひすみのみや)」がはじまりとされています。
現在の御本殿は、江戸時代の延享元年(1744)に造営された大社造りのもので、高さは24メートルもあり、国宝に指定されています。古代にはさらに壮大な規模があったと伝えられており、平成12年(2000)にはその裏付けとなる3本の柱を1組にした巨大な柱根が発見されました。
主祭神の大国主大神は縁結びの神として知られ、旧暦10月には全国の神々が出雲に集まり、氏子たちの縁を取り持つともいわれます。
■所在地:島根県出雲市大社町杵築東195
■電話番号:0853-53-3100
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:山陰自動車道「出雲インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線「出雲市駅」から一畑バス(大社線)乗車30分、「出雲大社バスターミナル」下車
日御碕(ひのみさき)神社
「日御碕神社」は、島根半島の先端部に位置する神社で、『出雲国風土記』にいう「美佐伎社」のこととされています。同じ境内には天照大神を祀る下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と、素盞嗚尊を祀る上の宮「神の宮」の2つの宮があります。
朱色があざやかな「日沉宮」と「神の宮」の社殿をはじめとして、回廊や楼門、鳥居など、境内の多くの建造物が国指定の重要文化財です。また、現在地に遷座する前の「日沉宮」は、沖合に浮かぶ経島(ふみしま)に鎮座していたとされ、神域のため一般の上陸はできませんが、ウミネコの繁殖地として知られています。
■所在地:島根県出雲市大社町日御碕455
■電話番号:0853-54-5261
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:山陰自動車道「出雲インターチェンジ」から車で25分/JR山陰本線「出雲市駅」から一畑バス(大社線)乗車30分、「出雲大社バスターミナル」で乗換え、日御碕臨時バス乗車20分、「日御碕神社」バス停下車
荒神谷遺跡
「荒神谷遺跡」は、弥生時代の貴重な青銅器が大量出土し、世紀の大発見といわれた国指定史跡です。
この遺跡からは広域農道「出雲ロマン街道」の建設にともなう発掘調査により、弥生時代の銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本のあわせて380点が出土し、「島根県荒神谷遺跡出土品」として一括での国宝指定を受けました。
さらに、平成7年(1995)には周辺環境を保全するため、約27.5ヘクタールが「荒神谷史跡公園」として整備され、あわせて出土品などを展示する「荒神谷博物館」も開館しています。
鰐淵寺(がくえんじ)
「鰐淵寺」は、出雲北山(弥山)の奥まった場所にある天台宗の古刹で、境内は国史跡に指定されています。
寺伝によれば、推古天皇の眼病平癒を浮浪滝に祈った智春上人を開山とし、推古天皇2年(594)に勅願により創建されたとされています。また、浮浪滝で上人が閼伽に供えようとした器を落としたところ、水の底から器をくわえた鰐(わに)が出てきたというのが「鰐淵寺」の寺号の由来です。
神仏習合の時代、山を隔てた反対側に位置する「出雲大社」との関係も深く、その別当寺となるなどして大いに栄えました。後に源義経の家来となる弁慶も、この寺で修行をしたといわれ、今でも「弁慶まつり」が開かれます。
江戸時代に建立された千手観音菩薩と薬師如来を祀る根本堂、浮浪滝の奥の断崖絶壁にはめ込まれた蔵王堂など見どころも多く、秋には紅葉の名所としても親しまれています。そのほか、壬辰年(西暦692年)の銘をもつ銅造観世音菩薩立像をはじめとする多くの寺宝を有します。
■所在地:島根県出雲市別所町148
■電話番号:0853-66-0250
■営業時間(受付):8時~16時15分
■入山料:大人500円、中・高生300円、小学生200円
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:山陰自動車道「斐川インターチェンジ」から車で30分/一畑電車「雲州平田駅」から平田生活バス(鰐淵線)乗車25分、「鰐淵寺駐車場」バス停下車、徒歩15分
出雲国造公御墓所
「出雲国造公御墓所」は、出雲大社の南に位置する松林寺の境内奥にある、千家・北島両家の墓所です。戦国時代に出雲国造を継いだ千家慶勝以後の歴代の出雲国造が眠っています。
松林寺は弘法大師空海が開いたとも伝えられる真言宗の寺院で、かつては出雲大社の別当寺でした。戦国時代に尼子晴久による焼打ちを受けて灰燼に帰し、尼子氏滅亡後にその再興を誓った山中鹿之助が罪業消滅のため再建したと伝えられます。江戸時代の寛文7年(1667)、出雲大社の「寛文の造替」の際、出雲国造家は神仏分離を徹底したため、大社境内にあった梵鐘や仏像、鐘楼などの建物がこの寺に移されました。
なお、松林寺境内には、「口紅地蔵」と称する、文化5年(1808)の銘を持つ石地蔵が安置されています。江戸時代、加代という芸者が地蔵の口元に口紅を塗って願掛けをしたところ、客が付いて実入りがよくなったといういわれがあります。
■所在地:島根県出雲市大社町杵築東625
■電話番号:0853-53-1836
■交通アクセス:山陰自動車道「出雲インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線「出雲市駅」から一畑バス(大社線)乗車30分、「出雲大社バスターミナル」下車、徒歩5分
出雲阿国の墓
「出雲阿国の墓」は、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した、歌舞伎の始祖とされる女性の墓です。出雲阿国は出雲の中村家に生まれ、出雲大社の巫女となり、勧進のために京に上り、いわゆる歌舞伎踊りを披露して人気となりました。
出雲大社の西500メートルほどの太鼓原の墓地の一角に、平たい自然石でできた墓があり、芸能関係者などがよく訪れます。なお、京都の大徳寺高桐院にも、夫である名古屋山三郎と出雲阿国の墓があります。
■所在地:出雲市大社町杵築北2529
■電話番号:0766-22-0179
■交通アクセス:山陰自動車道「出雲インターチェンジ」から車で15分/JR山陰本線「出雲市駅」から一畑バス(大社線)乗車30分、「出雲大社バスターミナル」下車、徒歩5分