駅からすぐの福山城・絶景の鞆の浦-福山市の名所旧跡を巡る
広島県の中でも最も東寄りにあり、岡山県と境界を接する福山市は、名所旧跡の宝庫です。
JR山陽本線の福山駅を降りると、目の前には鉄板張りの珍しい天守をもつ「福山城」の威容に圧倒されます。
一方で瀬戸内海に浮かぶ「仙酔島」をはじめ、美しい風景が広がる「鞆の浦」もまた、福山市の一つの姿です。
福山城:北面に鉄板が張られた鉄壁の城
「福山城」は、徳川家康のいとこに当たる水野勝成が元和8年(1622年)に築いた平山城で、備後福山藩10万石の藩庁が置かれました。
第二次世界大戦時の「福山大空襲」により多くの建物が焼失しましたが、昭和41年(1966)に市制50周年記念事業の一環で天守・月見櫓・御湯殿が復興されました。
この「福山城」の後背地には山があり、城の防衛上の弱点となっていたことから、天守北側には砲撃によるダメージを避けるために鉄板が一面に張られ、真っ黒な外観になっています。これは全国的にも例のない、「福山城」独自のつくりといえます。
天守の内部は福山城や福山藩の歴史についてくわしく知ることができる「福山城博物館」として活用されており、バリアフリー化でスロープや昇降機、エレベーターなども完備されているので、移動の際も安心です。
現存する建物の中では、築城に当たって徳川秀忠から拝領した伏見城の遺構である「伏見櫓」が国の重要文化財に指定されています。また、扉に筋鉄が入った堅固なつくりの「筋鉄御門」も、同様に国指定重要文化財です。
かつての城跡は国史跡として保存され、史跡部分を包含する一帯が「福山城公園」として整備されています。園内には「ふくやま美術館」や「広島県立歴史博物館」にどの文化施設が建ち並んでいるほか、春には300本ほどの桜が咲く名所としても知られます。
■所在地:広島県福山市丸之内1-8(福山城博物館)
■電話番号:0849-22-2117
■営業時間:公園は6:00~22:00、博物館は9:00~17:00(月曜定休、祝休日の場合は翌日)
■入館料:園内自由、博物館入館の場合は一般500円、高校生以下無料
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR山陽新幹線・山陽本線・福塩線「福山駅」北口から徒歩5分(本丸まで)/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で10分
■駐車場:博物館駐車場は無料、文学館・美術館駐車場は有料(博物館等利用の場合は1時間まで無料)
水野勝成墓:福山藩初代藩主の巨大な五輪塔
「福山城」から線路沿いをまっすぐ東に900メートル、賢忠寺の線路を挟んで北側に「水野勝成墓」があります。
戦国武将として名高い水野勝成は、若い頃には数々の主君に仕えては出奔を繰り返すなど不遇でしたが、関ヶ原の戦いや大坂の陣で目覚ましい活躍をし、元和5年(1619)に備後福山藩10万石の初代藩主となっています。
藩主となって以降の水野勝成は、福山城の築城を初めとして、新田開発や上水道の整備、社寺の復興、藺草や綿花の栽培奨励といった内政に積極的に取り組みました。
慶安4年(1651)、水野勝成は88歳で亡くなると賢忠寺に葬られ、高さ5メートルほどの巨大な五輪塔が営まれました。
同じ墓地には父の水野忠重や三代・勝貞、四代・勝種らの墓もあり、広島県史跡となっています。
■所在地:広島県福山市若松町1
■電話番号:084-925-2233(賢忠寺)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR山陽新幹線・山陽本線・福塩線「福山駅」北口から徒歩10分/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で10分
天別豊姫神社:紅葉山に鎮座する式内古社
「天別豊姫神社」は、神辺平野にそびえる紅葉山の中腹に鎮座する神社です。
古代、この地には「穴海(あなのうみ)」という入海が広がっており、海神の娘である豊玉姫命を祀ったのが始まりとされます。
平安時代の『延喜式神名帳』にも名前が載る式内社で、古い歴史を有しています。
建武2年(1335)に備後国守護となった朝山景連が紅葉山に神辺城を築くに当たり、城の守護神として紅葉山中腹に遷座させたといわれていますが、朝山景連が城を築いたのは付近の古城山であるとする説もあります。
江戸時代には「福山城」が築城され、神辺は備後の中心都市ではなくなりますが、引き続き「神辺大明神」として崇敬を集めました。
この「天別豊姫神社」の本殿から登山道を進むと、紅葉山の頂上には「神辺城跡」があります。
南北朝時代に備後国守護・朝山景連の築城と伝わり、戦国時代に山名理興が城主だった時代には「神辺合戦」で6年ほど持ちこたえたものの、最終的には大内氏・毛利氏の軍の前に落城しています。
江戸時代には水野勝成が「福山城」を築城したために廃城となり、石垣や櫓などは「福山城」に転用されたといわれます。
春にはおよそ1000本の桜が咲く花見の名所としても知られます。
■所在地:広島県福山市神辺町大字川北甲142-2
■電話番号:084-962-2027
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR福塩線・井原鉄道井原線「神辺駅」から徒歩10分/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で10分
■駐車場:無料
素盞嗚神社:備後国一宮で蘇民将来発祥の地
「素盞嗚神社」は、福山市の西端にある備後国一宮の神社です。天武天皇8年(679)の創建とされる古社で、「蘇民将来伝説」発祥の地といわれています。
鎌倉時代に卜部兼方が記した『釈日本紀』に「備後国風土記逸文」が残っていますが、これによれば、今の「素盞嗚神社」(又は摂社「蘇民神社・疱瘡神社」)のことを指す「疫隈国社(えのくまのくにつやしろ)」に伝わる話として、武塔神が一夜の宿を求めたところ、蘇民将来・巨旦将来の兄弟のうち、裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は歓待したといいます。
行疫神である武塔神は、蘇民将来にだけ疫病を免れる方法として「茅の輪」を身に付けるように教えたため、蘇民将来の一家だけは無事で、巨旦将来の一家はことごとく疫病で亡くなってしまったということです。
これが蘇民将来の護符や茅の輪くぐりのような民間信仰の起源となっており、「素盞嗚神社」の境内は巨旦将来の屋敷跡とも伝えます。
風土記では武塔神の正体は素盞嗚命であると明かしており、神仏習合して牛頭天王とも呼ばれるようになりました。
遣唐使であった吉備真備は天平6年(734)にこの神社から播磨国の広峯神社へと牛頭天王を勧請し、さらに貞観11年(869)には広峯神社から祇園感神院(今の八坂神社)にも勧請され、「祇園信仰」が盛んになるきっかけがつくられました。
7月にはこの神社でも「祇園祭」が行われており、特に神輿がはげしくぶつかり合う「喧嘩神輿」で有名です。
「素盞嗚神社」は芦田川と神谷川の合流部近くにあったことから、一帯の河原は「天王川原」と呼ばれており、江戸時代に福山藩内で起きた最大の一揆「天明一揆」の際には、農民たちの集合場所にもなっています。
■所在地:広島県福山市新市町戸手1-1
■電話番号:0847-51-2958
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR福塩線「上戸手駅」から徒歩3分/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で25分
■駐車場:無料
備後国分寺:聖武天皇の国分寺の法燈を継ぐ寺院
「備後国分寺」は、奈良時代に聖武天皇の詔により諸国に建立された国分寺の法灯を継ぐ寺院とされ、市内の神辺地区にあります。
古代には現在地よりもさらに南側、古代の山陽道に沿って南門が建てられており、その奥左右に金堂と塔、さらに奥に講堂がある「法起寺式伽藍配置」であったことが発掘調査からわかっています。また、当時の境内は東西600尺、180メートルの大きさでした。
古代の国分寺は中世の戦乱で焼失し、現在の建物は江戸時代に福山藩主・水野勝種が再建したものです。
また、本堂の裏手には「好右衛門義挙碑」と書かれた石碑があります。これは江戸時代の福山藩で起きた「明和一揆」で打首となった当時の下御領村の村役人・渡邉好右衛門を顕彰するため、昭和4年(1929)に土肥七郎が建てたものです。
■所在地:広島県福山市神辺町下御領1454
■電話番号:084-966-2384
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:井原鉄道井原線「御領駅」から徒歩10分/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で15分
■駐車場:無料
堂々川砂留:江戸時代の砂防堰堤の遺跡
「備後国分寺」の後方の堂々川流域には、「堂々川砂留」と呼ばれる構築物があり、国登録有形文化財となっています。
このあたりは地質的に花崗岩が多く風化が進んでおり、土砂災害が起きやすい環境にありました。
延宝元年(1673)に堂々川が氾濫した際には、国分寺の建物のほとんどがなぎ倒されたほか、死者63名を出す惨事となりました。
これをきっかけに福山藩でも堂々川への砂防堰堤の設置が計画されるようになり、江戸時代後期に至るまで普請が続けられました。
特に6番砂留は天保6年(1835)に普請を開始した記録が残り、明治以降にも嵩上げ増築をしているため、高さが13メートルにも達する大型のものです。
また、堂々川はホタルの名所としても近隣に知られており、夏場になると清流をホタルが乱舞する姿を見ることができます。
■所在地:広島県福山市神辺町地内
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:井原鉄道井原線「御領駅」から徒歩15分/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で15分
■駐車場:無料
仙酔島:瀬戸内海に浮かぶ風光明媚な島
「仙酔島」は、瀬戸内海に浮かぶ周囲6キロメートルほどの小島で、昭和9年(1934)に日本で最初の国立公園に指定された「瀬戸内海国立公園」に含まれています。
「鞆の浦」の景観を代表する風光明媚な島として知られ、島内では青・赤・黄・白・黒の5色の岩が海岸に沿って延々と1キロメートルほど連なる「五色岩」を見ることができます。近年は地の気が集まるパワースポットとして人気が高まっています。
「鞆の浦」にある渡船場から遊覧船に乗って5分で「仙酔島」まで渡ることができ、島内のホテルで1泊することも可能です。
■所在地:広島県福山市鞆町地内
■電話番号:084-982-3200(鞆の浦観光情報センター)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR「福山駅」からトモテツバス30分、「鞆港バス停」下車、市営渡船場から「平成いろは丸」5分/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で30分
■駐車場:渡船場脇「鞆の浦第1駐車場」は日中30分100円
対潮楼:朝鮮通信使の迎賓館となった絶景の楼閣
渡船場の道路挟んで反対側、石垣の上にそびえるのが「対潮楼」です。
平安時代に空也上人により開かれたという「福禅寺」の境内にあり、江戸時代の元禄7年(1694)に客殿として建てられたものです。
この建物は将軍の代替わりのたびに派遣される朝鮮通信使の迎賓館として用いられ、寛延元年(1748)、徳川家重の襲封を慶賀する朝鮮通信使の正使として訪れた洪啓禧が「対潮楼」と命名し、息子の洪景海が題額の文字を揮毫しています。
また、坂本龍馬の海援隊が運航していた蒸気船「いろは丸」が紀州藩の「明光丸」と接触・沈没した一件では、海援隊と紀州藩との交渉場所としても使われました。
「対潮楼」からは瀬戸内海の風景を一望することができ、「鞆の浦」随一の観光スポットになっています。
■所在地:広島県福山市鞆町2
■電話番号:084-982-2705
■拝観時間:平日9:00~17:00、土日祝日8:00~17:00(不定休)
■拝観料:大人200円、中高生150円、小学生100円
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR「福山駅」からトモテツバス30分、「鞆港バス停」下車、徒歩5分/山陽自動車道「福山東インターチェンジ」から車で30分
■駐車場:渡船場脇「鞆の浦第1駐車場」は日中30分100円