一度は行きたい山形の名城:山形城・上山城・米沢城
県庁所在地の山形市を中心に、奥羽山脈の麓に開けた村山盆地やその周辺には、全国的にもその名を知られたお城がいくつかみられます。
戦国の名将・最上義光の居城だった「山形城」、「羽州の名城」といわれた「上山城」、伊達氏や上杉氏が根拠地とした「米沢城」などは、その代表格といえるでしょう。
山形城跡:戦国の名将・最上義光の居城
「山形城跡」は、山形市の中心にある国史跡の城跡で、現在は「霞城公園」として整備されています。
南北朝時代に羽州探題・最上氏の祖となる斯波兼頼が城を築いたのが始まりとされます。
戦国大名として版図を広げ、伊達政宗や直江兼続とも戦った最上義光(もがみよしあき)は、この山形城を居城とし、山形藩57万石の基礎を築きました。
「山形城跡」には現在、山形県立博物館、山形市郷土館、山形県体育館などの施設が建っており、本丸御殿の跡は広場して開放されています。
また、城内は1,500本もの桜が出迎える花見の名所としても知られており、季節になると大茶会なども催され、にぎやかな姿を見せます。
「山形城跡」ではすでに二ノ丸東大手門が復元され、三ノ丸に当たる門前には「最上義光歴史館」が新設されるなどしていますが、今後とも計画的に整備が続けられる予定です。
■所在地:山形県山形市霞城町1
■電話番号:023-641-1212(市役所代表番号)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR奥羽本線「山形駅」から徒歩10分/山形自動車道「山形蔵王インターチェンジ」から車で15分
■駐車場:無料(450台)
上山城跡:「羽州の名城」とうたわれた城
「上山城跡」は、「羽州の名城」とうたわれた上山市にある城跡で、現在は一帯が「月岡公園」となっているほか、かつての二の丸跡に模擬天守を建て、内部を郷土資料館として活用しています。
この城は戦国時代の天文4年(1535)、上山義忠が月岡の天神森に築いたものと伝えられています。
江戸時代初期のお家騒動「最上騒動」で最上氏が改易されると、上山城の城主は目まぐるしく変わりましたが、なかでも譜代大名の土岐氏が城主となっていた時代に、現在のような城下町が整備されました。
元禄10年(1697)、松平信通が3万石で上山藩主となり、以後10代にわたる居城として用いられ、明治時代の廃城令で建物が取り壊されて堀や石垣などを残すばかりとなりました。
二の丸跡に3層の模擬天守が建てられたのは昭和57年(1982)のことで、内部の「郷土資料館」では上山の名所旧跡、古街道、城下町、蔵王修験、温泉などについて紹介しているほか、最上階は展望台として町並みを見渡せるようになっています。
■所在地:山形県上山市元城内3-7
■電話番号:023-673-3660(郷土資料館)
■営業時間:9:00~17:15(最終入館16:45まで)
■休館日:毎週木曜日(祝日の場合は直前の平日)、12月29日~31日、ほか臨時休館日
■入場料金:大人420円、高校生・大学生370円、小・中学生50円
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR奥羽本線「かみのやま温泉駅」から徒歩10分/東北中央自動車道「かみのやま温泉インターチェンジ」から車で10分
■駐車場:無料
米沢城跡:伊達氏・上杉氏の本拠地として知られる
「米沢城跡」は、米沢市の市街地の中心に位置する中世から近世にかけての城郭の跡で、鎌倉時代に地頭の長井氏が築いたのが始まりとみられています。
戦国大名として名高い伊達政宗はこの場所で産まれており、伊達晴宗・輝宗・政宗の3代にわたり、この城が長らく伊達氏の本拠となっていました。
江戸時代には米沢藩30万石上杉氏の居城となりますが、本丸の南東部に上杉謙信の遺骸を納めた甕棺を祀った御堂が建てられていたことは大きな特色です。
明治時代になって謙信の遺骸は城内から歴代藩主が眠る現在の「上杉家廟所」に移され、あわせて本丸跡には上杉謙信を祭神とする「上杉神社」が創建されました。
現在の「米沢城跡」は、市民に広く開放された「松が岬公園」となっており、休日には憩いを求める市民でにぎわっています。
■所在地:山形県米沢市丸の内1丁目4-13
■電話番号:0238-21-6226(米沢観光コンベンション協会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR山形新幹線・奥羽本線・米坂線「米沢駅」から市民バス(市街地循環路線)10分、「上杉神社前」下車/東北中央自動車道「米沢中央インターチェンジ」から車で10分
■駐車場:無料