江戸時代の宿場に茅葺屋根が連なる大内宿

大内宿 観光
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福島県南会津郡下郷町にある「大内宿」は、江戸時代の町並みが残るかつての下野街道の宿場町です。道路に沿って30軒近くの茅葺屋根の民家が建ち並び、年間70万人もの入込客がある一大観光スポットとなっています。
これらの民家は観光客向けの土産物店や食堂などになっていることが多く、箸の代わりにねぎ1本で食べる「高遠そば」などのご当地グルメも人気です。

大内宿とは

大内宿

大内宿の成り立ちと下野街道

「大内宿」は、会津若松から下野国(今の栃木県)今市までを結ぶ下野街道(会津西街道)に沿って、江戸時代の前期に整備されたとみられる宿場町です。

名君と謳われた初代の会津藩主・保科正之や2代藩主・保科正経のころには、江戸への参勤交代の途上、何度か昼食のために立ち寄っています。

こうした大名の休息や宿泊に宛てるため、大内宿には宿場町特有の本陣・脇本陣と呼ばれる建物も設けられており、現在は旧本陣が「大内宿町並み展示館」に生まれ変わっています。

3代以降は参勤交代の際に下野街道のような脇往還は通らず、白河経由の奥州街道を使うようになったものの、引き続き他藩の武士や商人らの往来でにぎわいました。

江戸幕末の慶応年間には、官軍がこの大内宿にも進軍し、付近で会津藩と激戦を繰り広げていますが、当時の名主・阿部大五郎の奮闘により、町並みに戦火が及ぶことは回避されています。

明治時代にはイギリス人紀行家のイザベラ・バードがこの地を訪れたことが著書『日本奥地紀行』からも知られますが、福島県令の三島通庸主導による「会津三方道路」が開通し、交通の要衝としての地位を失うに及んで、次第に時代からも取り残されていきました。

大内宿の町並み保存運動

日本が高度経済成長に沸き立っていた昭和42年(1967)、民俗学者・宮本常一の薫陶を受けた相沢韶男(つぐお)(当時は武蔵野美術大学建築学科の学生で後に同学名誉教授)が調査のため大内宿に入ると、茅葺屋根が多く残る整然とした町並みに感銘を受け、町並みの保存を訴えるようになります。

これをきっかけに外部の有識者らも多く訪れ、町並み保存運動が盛り上がりを見せましたが、当初は茅葺屋根が「貧乏」の象徴とみなされ、トタン屋根化を希望する住民が多かったことや、ダム開発に関連した作業員向けの民宿や食堂などの商売で生計を立てようとする動きもあったことから、住民たちによる全面的な合意には至りませんでした。

こうした流れが一巡した1980年代になると、町と住民たちの間でも観光を軸に大内宿の将来を考える合意形成が図られるようになり、妻籠宿の先例を参考に、「売らない、貸さない、壊さない」の3原則からなる住民憲章が定められました。

そして重要伝統的建造物群保存地区へ

昭和56年(1981)、妻籠宿・奈良井宿に続く全国で3番めの重要伝統的建造物群保存地区として選定された大内宿では、旧街道筋のアスファルトの撤去、電柱類の移設、トタン屋根から茅葺屋根への復元などの景観整備が次々と行われました。

そして現在では、年間70万人近くの観光客が全国から押し寄せる観光スポットへと変貌を遂げ、集落内の土産物店やそば屋、民宿なども大いににぎわっています。

大内宿へのアクセス(冬期注意)

大内宿有料駐車場

大内宿へのマイカー利用のルートと駐車場

大内宿は現在のこの地域のメインルートとなっている国道121号からもかなり離れた内陸の場所にありますので、アクセスには工夫が必要です。

マイカーやレンタカーの場合は、磐越自動車道「会津若松インターチェンジ」で降りて国道121号を南下し1時間、または東北自動車道「須賀川インターチェンジ」を降りて国道118号を西に1時間進みます。

冬期は積雪があり、路面も凍結して途中の坂道の移動が困難になりますので、おおむね積雪のない11月上旬ごろまでを目安に訪れるのがよいでしょう。

また、ゴールデンウィークやお盆、秋の紅葉期間などのハイシーズンには、特に大川ダムから国道121号・国道118号の合流部にかけて、及び大内宿の有料駐車場入口付近において大渋滞が見込まれていますので、可能な限り福島県道131号線(大内宿こぶしライン)などの迂回路を活用することが推奨されます。

駐車場は大内宿への入口にあたる県道131号線沿いにあり、駐車料金は軽自動車・普通車1回500円(臨時駐車場は400円)です。
大内宿の内部(伝建地区)へは一般車両の乗り入れが禁止されています。

大内宿への公共交通機関でのアクセス

公共交通機関を利用するのであれば、東京の浅草駅から会津田島駅へ直通の東武鉄道新型特急「リバティ会津」に乗り、会津田島駅で会津鉄道会津線の鈍行列車に乗り換えて「湯野上温泉駅」で降ります。
ここからさらに広田タクシーのレトロバス「猿游号(さるゆうごう)」に乗って大内宿に向かいます。

「会津線」と「猿游号」の両方に乗れる「大内宿共通割引きっぷ」もあり、2,200円で販売しています。

なお、「猿游号」は12月から2月までの冬期も運行しますが、それ以外の時期と比べると減便されていますので注意を要します。

大内宿観光案内所
■所在地:福島県南会津郡下郷町大字大内
■電話番号:0241-68-3611
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:会津鉄道「湯野上温泉駅」から広田タクシー猿游号で20分/東北自動車道「須賀川インターチェンジ」又は磐越自動車道「会津若松インターチェンジ」から車で1時間
■駐車場:軽自動車・普通車500円

大内宿の見どころ

大内宿町並み展示館

大内宿町並み展示館

「大内宿町並み展示館」は、大内宿のかつての本陣跡にあり、資料が残っている同じ下野街道の川島宿本陣などを参考にして復元したものです。

集落のほぼ中央の街道沿いに位置する茅葺・平入の豪壮な建物で、参勤交代の大名などの高い身分が利用することを想定し、専用の玄関や雪隠(トイレ)、風呂や床の間などが設置されています。

そのほか内部には囲炉裏が切られており、当時の風習を伝える写真や農具・什器などの参考資料が展示されています。

大内宿町並み展示館
電話 0241-68-2657
住所 福島県南会津郡下郷町大内字山本8
開館時間 9:00~16:30
入館料 大人250円、小・中学生150円

高倉神社

高倉神社一の鳥居

「高倉神社」は、大内宿の西の外れに鎮座する神社で、治承4年(1180)の創建といわれます。

御際神は後白河法皇の第三皇子にして「以仁王の令旨」で知られる以仁王です。
以仁王は平家打倒の兵を挙げたものの宇治川の戦いに敗北し、今の新潟県にまで落ち延びたという伝説があり、途中で立ち寄った「山本村」が懐かしい都の風情に似ていたことから「大内村」に改称したといいます。

高倉神社の一の鳥居は旧街道沿いにありますが、実際の神社の本殿はここから400メートルほど西に離れています。

二の鳥居をくぐり、周囲を鎮守の森に覆われた参道を進むと、小高い丘の上に高倉神社の本殿が鎮座しており、参道の途中には無数の剣が奉納されています。

境内には樹齢約800年、樹高56メートルの大杉があり、鎮座のころのものと伝えられます。

高倉神社の御朱印は、大内宿の入口に近い「南仙院分家」(街道に面した場所は土産物店になっている)で受け付けています。

半夏祭
大内宿の高倉神社の祭礼が「半夏祭(はんげまつり)」です。毎年7月2日の「半夏生(はんげしょう)」にあわせて行われ、天下泰平・村中安全・無病息災を願う神事の後で神輿が宿場内を巡り、これに笛・太鼓のにぎやかな屋台が続きます。

正法寺子安観音

大内宿の北側の高台に建つ正法寺の観音堂で、内部には延享3年(1746)の銘をもつ子安観音像が祀られています。

毎年5月7日に祭礼があり、婦人会が主催となって赤飯などを持ち寄り安産祈願をし、願いが叶えば報賽のために小さな着物を奉納する習わしです。

この地域では子安観音を中心とした観音講も行われており、地元婦人層の信仰の中心となっています。

ご当地グルメねぎそば(高遠そば)とは

ねぎそば

大内宿のご当地グルメといえば「ねぎそば」が挙げられます。
会津藩主である保科正之は、もとは高遠藩主だったこともあり、高遠からそば職人を連れてきたのが「ねぎそば」のはじまりといわれ、「高遠そば」の異名でも呼ばれています。

地味に乏しい山間部でもよく育つそばは、大内宿以外にも名産地がいろいろとありますが、この地域独特の食べ方として、器にねぎをまるまる一本添えて、箸の代わりに、あるいは薬味として齧りながらそばを食べるというものがあります。

甘めのだし汁は風味のよい鰹節や辛味のある大根おろしともマッチし、たいへんおいしくいただけます。

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