険阻な山城の麓に広がる城下町・恵那市岩村町

岩村城下町 観光
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岐阜県恵那市の岩村町地区は、鎌倉時代にはじまり江戸時代には岩村藩の藩庁が置かれた岩村城の城下町で、いまも塗屋造の商家建築が多く残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。ここでは全国から訪れる観光客が絶えない岩村地区の見どころをご紹介します。

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岩村城跡

岩村城跡

「岩村城跡」は、鎌倉時代に遠山氏の祖である遠山景朝が築城した険阻な山城の跡で、戦国時代には織田・武田両氏の角逐の場となり、おつやの方が女城主を務めたことで有名です。江戸時代には岩村藩2万石、後に3万石の城下町が整備され、譜代大名の丹羽氏や大給松平氏が城主となって一帯を治めました。

この城は奈良県高取町の高取城、岡山県高梁市の備中松山城とともに「日本三大山城」のひとつに数えられ、標高717メートルの高所にあって霧が発生しやすいところから「霧ヶ城」とも呼ばれています。

現在も山麓から続く石畳の登城道が残っていますが、「岩村歴史資料館」のある登城口から本丸まで、急坂を登り徒歩で30分ほどかかる困難な道程です。途中に下田歌子勉学所、藤坂、畳橋、霧ヶ井、菱櫓、六段壁など多くの遺構があり、特に六段壁の石垣は岩村城の堅固さを象徴する代表的な景観です。なお、国道418号から北上して岩村城本丸近くの「出丸駐車場」まで自動車で登れる別ルートもあります。

下田歌子勉学所

下田歌子勉学所

若い頃から歌人として知られた近代女子教育の先駆者で、現在の実践女子学園の創始者でもある下田歌子の勉学所(父の書斎)を復元したものです。岩村城の武家屋敷跡を利用した「城跡公園」の一角にあります。

下田歌子の父・平尾鍒蔵は岩村藩士で、代々にわたり藩校・知新館の教授を務めた家柄であり、勉学所の周囲には「下田歌子女史像」や「平尾家邸址下田歌子刀自誕生之地碑」も建てられています。

知新館

知新館

元禄15年(1702)、岩村藩主・松平乗紀(のりただ)が創建した岩村藩の藩校で、美濃国内では最初の藩校となりました。校名は論語の「温故知新」からとったもので、「城址公園」に知新館の正門が移築されており、その傍らには岩村藩出身の儒学者で昌平黌の儒官にもなった佐藤一斎の銅像があります。同じ敷地の奥には岩村城の絵図やパノラマ模型などを提示する「岩村歴史資料館」が開館しています。

岩村城跡
■所在地:岐阜県恵那市岩村町城山
■電話番号:0573-43-3057(岩村歴史資料館)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:明知鉄道明知線「岩村駅」から徒歩60分/中央自動車道「恵那インターチェンジ」から車で30分

恵那市岩村町本通り重要伝統的建造物群保存地区

岩村城城下町

「恵那市岩村町本通り重要伝統的建造物群保存地区」は、平成10年(1998)に国から重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた、およそ14.6ヘクタールにわたる岩村城の旧城下町の町並みです。

かつての問屋の建物が「木村邸」「江戸城下町の館勝川家」としてそれぞれ内部公開されているほか、通りに面して江戸時代から明治・大正時代にかけての重厚な塗屋造の商家建築が残されています。また、江戸時代の高札場や枡形なども見どころのひとつです。

下町枡形・高札場

下町枡形

城下町の直線的な道路をわざわざ直角に曲げて見通しを悪くし、外敵の侵入を防ぐようにしたものが「枡形」であり、岩村城下町の西の入口にも「下町枡形」が残っています。かつては周囲に土塁がめぐらされるとともに、木戸が構えられていました。また、広場状になった枡形の内側には、掟書などを掲げて民衆に告げ知らせるための高札場が置かれており、枡形下の祥雲寺(庚申堂)境内にそのようすが再現されています。

恵那市岩村町本通り重要伝統的建造物群保存地区
■所在地:岐阜県恵那市岩村町
■電話番号:0573-26-2153(恵那市教育委員会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:明知鉄道明知線「岩村駅」から徒歩10分/中央自動車道「恵那インターチェンジ」から車で20分

乗政寺山墓地(大名墓地)

乗政寺山墓地

「乗政寺山墓地(大名墓地)」は、江戸時代に岩村藩主の菩提寺である乗政寺が建立された場所にある墓地です。寺院そのものは明治時代に廃寺となり、墓地だけが残っています。

この墓地内には、岩村藩主の松平家乗や丹羽氏信をはじめとする多くの大名やその家臣らが眠っています。また、近代女子教育の先駆者である下田歌子の墓もあります。

乗政寺山墓地
■所在地:岐阜県恵那市岩村町殿町
■電話番号:0573-43-3231(恵那市観光協会岩村支部)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:明知鉄道明知線「岩村駅」から徒歩20分/中央自動車道「恵那インターチェンジ」から車で20分

橋本祐三郎首塚

橋本祐三郎墓

橋本祐三郎首塚」は、江戸時代に領内の代官を務めていた岩村藩士の墓です。凶作により困窮する農民たちに同情し、帳簿を操作して年貢が納められたように偽装したとして、文政12年(1829)に斬首の刑に処せられました。

その後、大円寺村(今の岩村町富田)の庄屋が橋本祐三郎の首級を貰い受け、山奥にひそかに墓を建てたものが現在も残っており、地元では「愛民代官」として慕われています。

橋本祐三郎首塚
■所在地:岐阜県恵那市岩村町富田
■電話番号:0573-26-2153(恵那市教育委員会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:明知鉄道明知線「岩村駅」から徒歩25分/中央自動車道「恵那インターチェンジ」から車で25分
このページの編集者
Travelogues
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