長崎県の中央に位置し三方を湾に囲まれた自然豊かな都市・諫早市の観光スポット

諫早市 観光旅行
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諫早市は、長崎県のほぼ中央に位置しており、有明海、橘湾、大村湾に三方を囲まれ、平野が広がる自然豊かなまちです。古くから「四面宮」といわれた諫早神社が鎮座し、戦国時代には高城(諫早城)が築かれました。西九州新幹線や長崎自動車道が通る交通の結節点としても知られます。

高城跡(諫早城跡)

諫早城跡

「高城跡」は、戦国時代の文明年間に西郷氏が築いたとされる城郭の跡です。豊臣秀吉による九州征伐の際、西郷氏は参陣せずに所領を没収され、代わって龍造寺家晴がこの城を手にしました。その後、子孫は諫早氏と改姓して代々ここを居城としますが、元禄12年(1699)、財政難から補修困難として城を廃し、山麓に新たに諫早陣屋を設けました。

現在、この場所は「諫早公園」として整備され、毎年春になると3万本のつつじが園内を彩ります。また、城山の樹叢は国の天然記念物に指定されており、遊歩道を散策することが可能です。

高城跡(諫早城跡)
■所在地:長崎県諫早市高城町
■電話番号:0957-22-1500(諫早市緑地公園課)
■公式サイト:
■交通アクセス:長崎自動車道「諫早インターチェンジ」から車で10分/JR西九州新幹線・長崎本線・大村線・島原鉄道島原鉄道線「諫早駅」から長崎県営バスまたは島原鉄道バス乗車5分、「諫早公園前」バス停下車

眼鏡橋

眼鏡橋

「眼鏡橋」は、江戸時代の天保10年(1839)、諫早氏により本明川に架けられた石造のアーチ橋です。長崎の眼鏡橋にならった堅固なつくりで、石橋としては初めて、国の重要文化財に指定されたことでも知られます。

かつては500メートルほど離れた本明川にありましたが、昭和32年(1957)の諫早大水害の際、流木が橋脚に引っかかるなどして流路をさまたげたとの反省から、その後の本明川拡幅工事の際に諫早公園内に移設されました。

眼鏡橋
■所在地:長崎県諫早市高城町
■電話番号:0957-22-1500(諫早市文化振興課)
■公式サイト:
■交通アクセス:長崎自動車道「諫早インターチェンジ」から車で10分/JR西九州新幹線・長崎本線・大村線・島原鉄道島原鉄道線「諫早駅」から長崎県営バスまたは島原鉄道バス乗車5分、「諫早公園前」バス停下車

高城神社

高城神社

「高城神社」は、諫早公園の隣接地に鎮座する神社で、諫早家初代・龍造寺家晴公を祀っています。明治15年(1882)に創建され、もとは公園内にありましたが、昭和32年(1957)の諫早大水害後に現在地に移築されました。

境内には江戸時代の百姓一揆「諫早一揆」の首謀者である若杉春后を祀る小祠「若杉霊神」や、昭和15年(1940)に若杉春后の功績をたたえるため諫早教育会が建立した「若杉先生表義碑」もあります。

高城神社
■所在地:長崎県諫早市高城町1-5
■電話番号:0957-22-0650
■公式サイト:
■交通アクセス:長崎自動車道「諫早インターチェンジ」から車で10分/JR西九州新幹線・長崎本線・大村線・島原鉄道島原鉄道線「諫早駅」から長崎県営バスまたは島原鉄道バス乗車5分、「諫早公園前」バス停下車、徒歩3分

諫早神社

諫早神社

諫早神社」は、本明川の河畔に鎮座する神社で、天照大御神、大己貴大神、少彦名大神とともに九州総守護の諸神を祀っています。奈良時代の神亀5年(728)に、聖武天皇の勅願により行基が石祠を建てたのがはじまりと伝えられています。神仏習合の「四面宮」として諫早氏らの崇敬を受け、明治時代の神仏分離令により「諫早神社」と改称されました。

境内には行基お手植えというクスノキの御神木があり、「諫早神社のクス群」として長崎県天然記念物に指定されています。

諫早神社
■所在地:長崎県諫早市宇都町1-12
■電話番号:0957-22-2073
■公式サイト:
■交通アクセス:長崎自動車道「諫早インターチェンジ」から車で5分/JR西九州新幹線・長崎本線・大村線・島原鉄道島原鉄道線「諫早駅」から徒歩10分
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