天空の城と銀山遺跡がある但馬の要衝・朝来市の観光スポット
兵庫県のほぼ中央に位置する朝来市は、播但連絡道路と北近畿豊岡自動車道、JR山陰本線と播但線が交わり、但馬地方における交通の要衝となっています。「天空の城」として名高い竹田城、戦国時代には本格稼働していた日本有数の生野銀山など、観光の見どころも豊富です。
竹田城跡
「竹田城跡」は、朝来市中北部にある標高353メートルの古城山の頂に建つ、全国有数の規模を誇る山城の跡です。嘉吉3年(1443)、但馬守護の山名宗全(持豊)が築城し、太田垣光景が初代城主となったと伝えられます。安土桃山時代には羽柴秀吉の弟・秀長が竹田城を攻略し、城代に任じられたこともありますが、慶長5年(1600)には早くも廃城となりました。
この城跡には廃城後も当時の壮大な石垣が残されているところが珍しく、自然石を組み合わせた「野面積み」と呼ばれる手法を間近に見ることができるほか、枡形虎口や食い違い虎口などの構造もよくわかります。
毎年9月中旬から12月初旬にかけての朝方の時間帯には、城下を流れる円山川から立ち込める霧が城の周囲を覆いつくし、まるで雲海の中に城だけが浮かんでいるように見えることから、「天空の城」としても人気を博しています。
■所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169
■電話番号:079-674-2120(情報館天空の城)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR播但線「竹田駅」から全但バス(天空バス)乗車20分、「竹田城跡」バス停下車、竹田城本丸まで徒歩20分/北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路「和田山インターチェンジ」から車で15分、中腹駐車場(バス停)から本丸まで徒歩20分
竹田寺町通り
「竹田寺町通り」は、竹田城の麓にある4つの寺院が並ぶ石畳の小路のことで、登城口のひとつである表米神社の鳥居から北に600メートルほど続いています。もとは竹田城の武家屋敷があったところ、廃城後に近在の寺院が移転してきて町並みを形成したものです。
この通りには南から順に浄土真宗本願寺派の善證寺、真宗大谷派の常光寺 浄土真宗本願寺派の勝賢寺、浄土宗の法樹寺が並んでおり、水路を挟んで連なる寺院の白壁が風情を醸し出しています。このうち常光寺には初代城主の太田垣光景の供養塔が、法樹寺には竹田城最後の城主である赤松広秀の墓碑があります。
■所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田
■電話番号:079-674-2120(情報館天空の城)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR播但線「竹田駅」下車すぐ/北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路「和田山インターチェンジ」から車で5分
茶すり山古墳
「茶すり山古墳」は、北近畿豊岡自動車道の沿道、宝珠峠の途中にある標高144メートルの尾根の先端に営まれた古墳です。古墳時代中期、5世紀前半に築造された直径90メートルの大型円墳で、銅鏡や短甲、勾玉などの多数の副葬品が出土しました。過去に類例のない蛇行剣と盾形銅鏡が出土したことで話題となった、奈良県奈良市にある直径109メートルの富雄丸山古墳に次ぐ、近畿地方最大級の円墳として、国史跡に指定されています。
古墳のある一帯は「史跡茶すり山古墳公園」として史跡公園化され、その一角にガイダンス施設の「茶すり山古墳学習館」が開設されています。また、「道の駅但馬のまほろば」に隣接する「古代あさご館」(朝来市埋蔵文化財センター)でも出土品を展示しています。
■所在地:兵庫県朝来市和田山町筒江793-1
■電話番号:079-670-7330(埋蔵文化財センター)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路「和田山インターチェンジ」から車で5分
史跡生野銀山
「史跡生野銀山」は、大同2年(807)の開坑と伝えられ、昭和48年(1973)の閉山に至るまで存続した、我が国有数の規模を誇った銀山の跡です。
戦国時代の天文11年(1542)、但馬守護・山名祐豊(すけとよ)がこの地に生野城を築くとともに、本格的な銀の採掘をはじめました。慶長5年(1600)には徳川家康が生野銀山を直轄領とし、佐渡金山や石見(いわみ)銀山と並ぶ幕府の主要な財源となりました。
当初は生野銀山を管理するため生野奉行が置かれていましたが、次第に銀の産出量が減少し、後に生野代官に変更されています。元文3年(1738)には銅の買取価格への不満から鉱夫らが代官所に強訴し、次いで農村部でも百姓らが年貢減免を求める「生野一揆」が起きたほか、幕末の文久3年(1863)には尊皇攘夷派の平野国臣らが代官所を占拠する「生野の変」も起きました。
明治元年(1868)には日本初の官営鉱山となり、お雇い外国人技師の指導のもとで近代化が進められ、後に三菱合資会社に払い下げられましたが、採掘コストの増大から昭和48年(1973)に閉山しました。その翌年にはテーマパークとしての「史跡生野銀山」が開業し、現在でも総延長350キロメートルに及ぶ坑道の一端を見ることができます。
■所在地:兵庫県朝来市生野町小野33-5
■電話番号:079-679-2010
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR播但線「生野駅」(西口)から定期観光バス「たじまわる鉱石の道号」(予約優先、7月~9月の土・日・祝日のみ運行)乗車10分、「生野銀山」バス停下車/北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路「和田山インターチェンジ」から車で5分
粟鹿(あわが)神社
「粟鹿神社」は、但馬国一宮とされる式内社です。御祭神のうちの一柱である彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が国見山に登った時に粟(あわ)をくわえた鹿が現れたという伝承があります。
境内は1万坪を越えるほど広大で、北近畿豊岡自動車道の建設にともなう発掘調査の際、鳥居から続く中世の参道の跡が確認されています。ほかにも本殿の裏手には開化天皇の皇子で丹波地方を平定した日子坐(ひこいます)王の墓とされる古墳があります。
参道に面した勅使門は鳳凰の姿が刻まれており、建立年代は不明ながら、朝来市の指定文化財となっています。
當勝(まさかつ)神社
「當勝神社」は、粟鹿神社の近くに鎮座する神社で、正哉吾勝勝速日天之忍穗耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を主祭神としています。
奈良時代の天平2年(720)の創建といわれ、現在の本殿は安政6年(1859)、拝殿は慶応4年(1868)に再建されたものですが、丹波柏原(今の丹波市)を拠点とした彫刻師・中井権次が手掛けた龍などの繊細な装飾が見ものです。旧本殿に当たる古宮や随身門、そして神社に奉納されている江戸時代から明治時代にかけての20枚を超える絵馬群は、それぞれ朝来市の重要文化財に指定されています。
この「當勝神社」は勝利を呼び込む神を祀る神社として知られ、合格祈願の受験生も多く訪れています。