甲斐武田氏ゆかりの名所旧跡が集まる甲府の旅
富士山や南アルプスの山並みに囲まれた甲府盆地の上に広がる山梨県甲府市には、東京都心からも電車やマイカーで2時間で行ける絶好の観光スポットが集まっています。
甲府市といえば、甲斐武田氏の居館があったことでも知られ、歴史的な建物や名所が今でも多くみられます。
武田神社:躑躅ヶ崎館の旧跡に鎮座
「武田神社」は、甲府市の市街地の北方にあり、戦国大名として名を馳せた武田信玄の居館だった躑躅ヶ崎館跡に鎮座しています。
大正天皇の即位にあわせて武田信玄に官位が追叙されたことをきっかけに、郷土の偉人として顕彰する運動が盛り上がり、大正8年(1919)に創建されたものです。
宝物殿には太政大臣・三条実美が寄贈した国重要文化財の太刀「吉岡一文字」の太刀はじめ、武田信玄が用いた日の丸の軍扇、武田家伝来の南蛮胴具足などが納められています。
桜や紅葉の名所としても知られ、季節になると美しい景色を見に多くの人々が訪れています。
また、境内の「姫の井戸」は、武田信玄の息女が産湯を使ったと伝わる井戸で、最近はパワースポットとして人気があり、「お水取り」で清冽な井戸の水を汲んで持ち帰ることができます。
■所在地:山梨県甲府市古府中町2611
■電話番号:055-252-2609
■拝観料:境内無料、「宝物館」(水曜定休)は大人(高校生以上)300円、小人(小・中学生)150円
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR中央本線「甲府駅」から山交バス10分、「武田神社バス停」下車/中央自動車道「甲府昭和インターチェンジ」から車で20分
■駐車場:無料
甲斐善光寺:善光寺三尊の疎開先
「甲斐善光寺」は、信州善光寺・元善光寺と並ぶ「三善光寺」の一つとされています。
善光寺はもともと本田善光が創祀したもので、百済から将来された一光三尊阿弥陀如来を祀っています。
廃仏派の物部氏により今の大阪に当たる難波の堀江に捨てられていたこの仏像を、本田善光が拾って故郷の信濃国まで持ち帰り、最初は飯田の元善光寺に、その後は長野の信州善光寺に祀ったという伝説があります。
戦国時代に武田・上杉の対立が激しくなり、数次にわたる「川中島の合戦」が行われるに及んで、武田信玄は善光寺の本尊を甲斐国に避難させることを思い立ち、永禄元年(1558)に「甲斐善光寺」が創建されました。
現在の「甲斐善光寺」の本堂は江戸時代の寛政8年(1796)再建ですが、東日本では最大級といわれる木造建築物で、国重要文化財に指定されています。
信州善光寺と同様に、堂内地下の「お戒壇めぐり」ができるようになっており、薄暗い通路を手探りで進んで錠前に触ることができれば極楽往生できるといいます。
また、源頼朝の妻である北条政子の命で製作された、社会の教科書でもおなじみの現存最古の頼朝像とされる木像を保有していることでも知られます。
■所在地:山梨県甲府市善光寺3-36-1
■電話番号:055-233-7570
■拝観料:境内無料、本堂拝観は大人500円、小学生250円
■営業時間(拝観受付):午前9時~午後4時30分(御開帳期間中は午前8時~午後5時)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR身延線「善光寺駅」から徒歩10分/中央自動車道「甲府昭和インターチェンジ」から車で20分
■駐車場:無料
東光寺:諏訪頼重・武田義信の墓がある寺
「甲斐善光寺」から500メートルほど西には「東光寺」があり、武田信玄が京都や鎌倉五山にならって創設した「甲府五山」の一つです。
創建年代は不明ですが、甲斐国に流されていた名僧・蘭渓道隆が文永5年(1268)に再興し、それまで「興国院」とされていた寺号を「東光寺」に改めたということです。
武田信玄もこの寺を厚く保護して堂宇を再興していますが、天文11年(1543)には諏訪侵攻後に甲斐に連れ帰った諏訪家の当主・諏訪頼重をこの寺に幽閉して自害させ、永禄8年(1565)には謀反の疑いで嫡男・武田義信を同じくこの寺に幽閉し、2年後に亡くなるなどの悲しい歴史を持っています。
境内の裏手には墓地がありますが、この中に諏訪頼重や武田義信の墓所も設けられており、現在も香華が絶えません。
織田信長の「甲州征伐」でも焼失を免れた「仏殿」は、室町時代の唐様建築物として国重要文化財に指定されており、蘭渓道隆が作庭したという池泉鑑賞式庭園とともに、この寺の見どころの一つです。
■所在地:山梨県甲府市東光寺3-7-37
■電話番号:0494-22-4772
■拝観料:境内無料、庭園拝観は300円
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR身延線「善光寺駅」から徒歩15分/中央自動車道「甲府昭和インターチェンジ」から車で20分
■駐車場:無料
酒折宮:日本武尊ゆかりの連歌発祥の地
JR「酒折駅」の近くにある「酒折宮」は、「連歌発祥の地」として知られる神社です。
日本武尊が東征の際にこの地に立ち寄り、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で周囲に問いかけたところ、御火焼翁(みひたきのおきな)が「かがなべて夜には九夜日には十日を」と返歌をしたことが、我が国の連歌の始まりとされています。
日本武尊は酒折宮を出発するに当たって塩海足尼(しおのみのすくね)に火打嚢を授け、この火打嚢を御神体として日本武尊を祀ったのがこの神社です。
この神社は江戸時代には国学者からも注目され、山県大弐が神社の由来を記した「酒折祠碑」や、本居宣長の撰文を平田篤胤が揮毫した「酒折宮寿詞」などの石碑が境内に残っています。
■所在地:山梨県甲府市酒折3-1-13
■電話番号:055-231-2690
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR中央本線「酒折駅」から徒歩10分/中央自動車道「一宮御坂インターチェンジ」から車で20分
■駐車場:無料
法泉寺:武田勝頼の墓が残る甲府五山の一つ
「緑が丘スポーツ公園」の近く、法泉寺山の麓にある臨済宗のお寺が「法泉寺」です。
南北朝時代に甲斐国守護の武田信武が開いたといわれており、戦国時代までに衰退していたところ、武田信玄が「甲府五山」の一つとして堂宇を再興し、子の武田勝頼を中興開山にするなとじて保護しています。
武田信玄の跡を継いだ武田勝頼は、織田信長の「甲州征伐」を受けて天目山で自害して果て、甲斐武田氏は滅亡しました。
武田勝頼の首級は京都の六条河原に晒されましたが、妙心寺が首級をもらい受け、手厚く葬儀をした上で埋葬しています。
一方で法泉寺の快岳和尚は、武田勝頼の歯髪を甲府まで持ち帰り、密かに境内に埋葬したということで、同寺には開基・武田信武の墓の傍らに武田勝頼の墓があります。
■所在地:山梨県甲府市和田町2595
■電話番号:055-252-6128
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR中央本線「甲府駅」から山交バス(伊勢町営業所行)10分、「北中入口バス停」下車、徒歩15分/中央自動車道「甲府昭和インターチェンジ」から車で20分
■駐車場:無料
積翠寺:信玄公産湯の井戸をもつ寺
甲府盆地のほぼ北端、要害山の山麓に位置する「積翠寺」は、奈良時代の高僧・行基が開いたと伝えられています。
境内の巨岩から泉が湧き出ていたことから最初は「石水寺」と呼ばれていましたが、後に「積翠寺」に改められたということです。
戦国時代、武田信玄の父に当たる武田信虎は、居館「躑躅ヶ崎館」の詰城として「要害山城」を築きましたが、武田信玄は永正18年(1521)にこの城で産まれたといわれ、境内に「信玄公産湯の井戸」が残されています。
武田信玄はこの寺で句会を催しており、「不動堂」には武田信玄像が祀られています。
■所在地:山梨県甲府市上積翠寺町984
■電話番号:055-252-6158
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR中央本線「甲府駅」から山交バス(積翠寺行)15分/中央自動車道「甲府昭和インターチェンジ」から車で20分
■駐車場:無料