飛騨高山の隠れた名所・東山寺町界隈を歩く

東山寺町

観光旅行

飛騨高山」といえば、江戸時代以来の古い町並みが残る、我が国でも屈指の観光都市として知られていますが、その基礎を築いたのが金森長近です。天正13年(1585)に羽柴秀吉の命で姉小路(三木)氏を降した長親は、飛騨一国の国主として、高山に拠点となる新城と城下町を整備しました。城下町の東方に連なる高台にも、京都の東山になぞらえて多くの寺院が建立され、今でもその姿をとどめています。

宗猷寺

宗猷寺

「宗猷寺」は、東山寺町の南端に位置する臨済宗の寺院です。寛永9年(1632)、高山藩2代藩主・金森可重(ありしげ)の菩提を弔うため、その子らが、飛騨安国寺を再興した南叟宗安を開山に招いて建立したものです。江戸時代から残る本堂や鐘楼は高山市の指定文化財となっています。

境内本堂前には、「幕末の三舟」として知られ明治新政府でも活躍した山岡鉄舟の父母の墓があるほか、本堂裏手の墓地の一角には、金森重勝(金森左京)の墓や木地師たちの墓があります。

宗猷寺
■所在地:岐阜県高山市宗猷寺町218
■電話番号:0577-32-1958
■公式サイト:
■交通アクセス:中部縦貫自動車道「高山インターチェンジ」から車で15分/JR高山本線「高山駅」(高山濃飛バスセンター)から匠バス(東西線)乗車10分、「素玄寺前」バス停下車、徒歩5分
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善応寺

善応寺

「善応寺」は、永禄元年(1558)、三木自綱が飛騨を平定し、松倉城を築城した際、城下に建てられた真言宗の寺院が起源です。本尊は如意輪観音で、初めは京都の建仁寺に祀られていたところ、三木自綱が帰依してこの寺の本尊に納まったということです。金森長近の飛騨侵攻で松倉城は落城し、善応寺も灰燼に帰しましたが、江戸時代に曹洞宗の寺院として再興されました。

この寺は飛騨三十三観音霊場の第5番札所となっているほか、境内には坐禅堂があり、毎月数回の参禅会が催されているため、誰でも参加することができます。

善応寺
■所在地:岐阜県高山市宗猷寺町177
■電話番号:0577-32-4516
■公式サイト:
■交通アクセス:中部縦貫自動車道「高山インターチェンジ」から車で15分/JR高山本線「高山駅」(高山濃飛バスセンター)から匠バス(東西線)乗車10分、「素玄寺前」バス停下車、徒歩5分
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法華寺

法華寺

「法華寺」は、永禄元年(1558)の創建と伝わる法華宗(陣門流)の寺院です。寛永9年(1632)に飛騨へ配流され、翌年亡くなった加藤清正の孫・加藤光正を哀れみ、高山藩3代藩主・金森重頼が高山城内の建物を移築して本堂としたと伝わっています。内部は寺院として改装されているものの、外観に書院造りの名残が見られる貴重な建物であることから、岐阜県の指定文化財となっています。

また、法華寺裏山の墓地内には、流罪の末にこの地で亡くなった加藤光正の五輪塔形式の墓や、江戸時代の百姓一揆の大原騒動を引き起こした飛騨郡代・大原彦四郎の妻の墓などもあります。

法華寺
■所在地:岐阜県高山市天性寺町62
■電話番号:0577-32-4517
■公式サイト:
■交通アクセス:中部縦貫自動車道「高山インターチェンジ」から車で15分/JR高山本線「高山駅」(高山濃飛バスセンター)から匠バス(東西線)乗車10分、「素玄寺前」バス停下車、徒歩3分
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素玄寺

素玄寺

「素玄寺」は、慶長13年(1608)、初代高山藩主・金森長近の菩提を弔うため、2代藩主・金森可重が建立した寺院で、長近の法号「金竜院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」にちなむものです。こうした建立のいきさつから、金森長近愛用の軍扇や肖像画などを寺宝として蔵しています。

境内裏山の墓地には、失政により明和・安永年間の二度にわたる百姓一揆「大原騒動」を引き起こした飛騨郡代・大原彦四郎の墓や、山蔵宗次(さんぞうむねつぐ)ら金森家の当主のために殉死した家臣の墓があります。

素玄寺
■所在地:岐阜県高山市天性寺町39
■電話番号:0577-32-2519
■公式サイト:
■交通アクセス:中部縦貫自動車道「高山インターチェンジ」から車で15分/JR高山本線「高山駅」(高山濃飛バスセンター)から匠バス(東西線)乗車10分、「素玄寺前」バス停下車
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Travelogues
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