長州藩の本拠地として維新の志士を育んだ萩市の観光スポット

萩市 観光旅行
この記事は約4分で読めます。
広告

山口県の北部、日本海に面した萩市は、江戸時代に長州藩の城下町として栄え、今も当時の風情が残る町並みがみられます。吉田松陰をはじめ、明治維新の原動力となった多くの偉人たちにゆかりの場所も多く、観光都市として広く知られています。

広告

萩城跡

萩城跡

「萩城跡」は、山口県萩市の指月山(しづきやま)に営まれた城郭の跡で、山麓には本丸御殿が、山頂には詰丸がありました。関ヶ原合戦で西軍の総大将となった毛利氏が周防・長門2か国に減封されたため、新たな本拠として慶長9年(1604)に築城されたものです。

明治時代の廃城令により、現在は城跡に建物はなく、石垣や水堀のみ残っていますが、旧三の丸に当たる堀内地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、菊屋横丁をはじめとする城下町にも幕末志士の屋敷跡が残るなど、往時のおもかげを留めています。

萩城跡
■所在地:山口県萩市堀内1-1
■電話番号:0838-25-1826
■公式サイト:
■交通アクセス:JR山陰本線「東萩駅」から萩循環まぁーるバス(西回りコース晋作くん)乗車10分、「萩城跡・指月公園入口・北門屋敷入口」バス停下車、徒歩5分/山陰自動車道「萩インターチェンジ」から車で10分
広告

松陰神社

松陰神社

松陰神社」は、吉田松陰を主祭神とする旧県社で、明治23年(1890)に松陰の実家である杉家の邸内につくられた小祠がはじまりです。明治40年(1907)、松下村塾出身者であり初代総理大臣にもなった伊藤博文らの請願によって今日のような神社となりました。

境内には松陰の主宰した私塾である「松下村塾」、松陰の実家・杉家の旧宅である「吉田松陰幽囚ノ旧宅」、松陰の遺品や著作などを展示する「宝物殿至誠館」、松陰の生涯を蝋人形で再現した「吉田松陰歴史館」などがあります。

松陰神社
■所在地:山口県萩市椿東1537
■電話番号:0838-22-4643
■公式サイト:
■交通アクセス:JR山陰本線「東萩駅」から萩循環まぁーるバス(東回り松陰先生)乗車15分、「松陰神社前」バス停下車/山陰自動車道「萩インターチェンジ」から車で10分
広告

松下村塾

松下村塾

「松下村塾」は、吉田松陰が主宰した私塾であり、今も「松陰神社」の境内の、当時と同じ位置に保存されています。もとは天保13年(1842)、松陰の叔父に当たる玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、その後、久保五郎左衛門を経て、吉田松陰が継承したものです。当時この地域は「松本村」とよばれていたために「松下村塾」の名が付けられました。

建物は木造瓦葺き平屋建てで、講義室に当たる8畳間のほか、4畳半間が1室、3畳間が2室、土間などからなり、床面積は50平方メートルに満たない小さなものです。吉田松陰はいわゆる「安政の大獄」により、安政6年(1859)に斬首刑に処せられたため、この建物で講義をしたのはわずかな期間でしたが、ここから久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら、明治維新と明治新政府の経営を先導する多くの優秀な人材が輩出されました。

松下村塾
■所在地:山口県萩市椿東1537
■電話番号:0838-22-4643
■公式サイト:
■交通アクセス:JR山陰本線「東萩駅」から萩循環まぁーるバス(東回り松陰先生)乗車15分、「松陰神社前」バス停下車/山陰自動車道「萩インターチェンジ」から車で10分
広告

雲林寺(ネコ寺)

雲林寺(ネコ寺)

「雲林寺」は、萩市東部にある臨済宗の寺院です。寛永2年(1625)、長州藩の藩祖である毛利輝元が亡くなると、家臣の永井基房もその後を追って殉死しましたが、このとき基房の飼い猫が主人の死を悲しみ、同寺にある基房の墓前から離れようとせず、ついには舌を噛み切って死んでしまったという伝説が残されています。

こうした伝説が近年になって掘り起こされ、境内には招き猫やネコ仏、ネコの画像、ネコのマスクなどが所狭しと置かれるようになり、今では「ネコ寺」として親しまれています。木製のネコ顔のマスクは実際にかぶって写真撮影することもできます。

雲林寺(ネコ寺)
■所在地:山口県萩市吉部上2489
■電話番号:08388-6-0307
■公式サイト:
■交通アクセス:JR山陰本線「東萩駅」から防長バス(津和野バスセンター行き)乗車50分、「吉部(きべ)」バス停下車、徒歩30分/山陰自動車道「萩インターチェンジ」から車で40分
タイトルとURLをコピーしました