啄木や賢治が過ごした城下町・盛岡市の観光スポット
岩手県の県庁所在地である盛岡市は、近世には盛岡藩10万石の城下町として栄え、近代に入ると、石川啄木や宮沢賢治ら名だたる文学者が青春時代を過ごした場所となりました。今でも盛岡市街には、全国から多くの観光客を集める魅力的なスポットが数多く存在します。
盛岡城跡
「盛岡城跡」は、近世に盛岡藩南部氏の居城となっていた平山城の跡です。慶長3年(1598)、南部信直が北上川と中津川が交わる不来方(こずかた)の要害の地で築城を開始したといわれ、完成までには数十年を要しましたが、寛永10年(1633)に3代藩主・南部重直が入城して以来、明治維新に至るまで南部氏の居城として栄えました。
明治初期の廃城令で建物は取り壊されましたが、明治39(1906)年に造園家として有名な長岡安平の設計により公園化し、現在も「盛岡城跡公園」として市民に親しまれています。水濠や石垣が残るこの城跡は、「日本の名城100選」のひとつでもあります。
■所在地:岩手県盛岡市内丸1-37
■電話番号:019-639-9057(盛岡市都市整備部公園みどり課)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から車で20分/JR「盛岡駅」から盛岡中心市街地循環バスでんでんむし乗車10分、「盛岡城跡公園」バス停下車
櫻山神社
「櫻山神社」は、盛岡城跡に鎮座する神社です。江戸時代の寛延元年(1748)が盛岡藩初代藩主・南部利直の百五十年忌に当たることから、翌年の寛延2年(1749)、7代藩主・南部利視が城内淡路丸に南部信直を「淡路丸大明神」として祀ったのがはじまりです。後に11代藩主・南部利敬の時代に「櫻山大明神」と改称するとともに、南部家の祖・南部光行を合祀しました。
明治時代の廃城令で城域が国有地となったことから一時城外に遷座しましたが、明治33年(1900)に再び城内に戻り、大正時代には初代藩主・南部利直、10代藩主・南部利敬をも合祀して現在に至ります。
神社の裏手には「烏帽子岩」と称する巨石がありますが、これは盛岡築城の工事中に出現したもので、南部利直は吉兆と喜んだといいます。
■所在地:岩手県盛岡市内丸1-42
■電話番号:019-622-2061
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から車で20分/JR「盛岡駅」から盛岡中心市街地循環バスでんでんむし乗車10分、「県庁・市役所前」バス停下車、徒歩3分
三ツ石神社
「三ツ石神社」は、少彦名命と四柱大神を祀る神社です。境内には3つに割れた巨石があり、昔から「三ツ石様」として信仰されていました。この巨石の表面には退治された鬼が二度と悪さをしない証として押したという「鬼の手形」が残されており、「岩手県」の語源となっています。
盛岡市内では毎年8月上旬に「盛岡さんさ踊り」が催されますが、これは鬼が退治されたことに喜んだ人々が三ツ石の周りを踊ったのがはじまりといいます。今でもこの祭りに先立って神社境内では奉納演舞が行われます。
■所在地:岩手県盛岡市名須川町2-1
■電話番号:019-622-2061(櫻山神社)
■交通アクセス:東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から車で10分/JR「盛岡駅」から岩手県交通バス乗車10分、「大泉口」バス停下車、徒歩5分
もりおか啄木・賢治青春館
「もりおか啄木・賢治記念館」は、国重要文化財の旧第九十銀行本店の建物を活用し、近代を代表する文学者である石川啄木と宮沢賢治や、盛岡のまちをテーマとする展示を行う資料館です。
石川啄木と宮沢賢治はともに岩手県の出身であり、時期に隔たりはあるものの、旧制盛岡中学校に学びました。館内には2人の著書や手紙などの資料が常設展示されているほか、映像体験室や喫茶、ミュージアムショップなども設置されています。
■所在地:岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-25
■電話番号:019-604-8900
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から車で20分/JR「盛岡駅」から盛岡中心市街地循環バスでんでんむし乗車15分、「盛岡バスセンター(ななっく前)」バス停下車、徒歩3分
岩手銀行赤レンガ館
「岩手銀行赤レンガ館」は、盛岡市の市街地にある赤レンガの近代洋風建築です。明治44年(1911)に旧盛岡銀行の本店行舎として完成したもので、東京駅を設計したことで知られる辰野金吾が手掛けた建築物としては東北地方に唯一残るものとして、国重要文化財に指定されています。
館内には盛岡市の産業の歴史を紹介するライブラリー・ラウンジや多目的ホールがあるほか、当時の応接室・重役室・支配人室・金庫室などを見ることができます。
■所在地:岩手県盛岡市中ノ橋通1-2-20
■電話番号:019-622-1236
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から車で20分/JR「盛岡駅」から盛岡中心市街地循環バスでんでんむし乗車15分、「盛岡バスセンター」バス停下車、徒歩3分
盛岡八幡宮
「盛岡八幡宮」は、江戸時代の延宝8年(1680)、盛岡藩3代藩主・南部重信によって建立された誉田別命を祀る神社で、盛岡の城下町を整備するのにあわせて、氏神である櫛引八幡宮の分霊を勧請したのがはじまりです。
大火などの影響で再建を繰り返し、現在の社殿は平成9年(1997)に再建されたものですが、境内には縁結美(えんむすび)神社や天神社、大黒・恵毘須社などの多くの末社があります。
また、毎年6月には滝沢市の鬼越蒼前神社(おにこしそうぜんじんじゃ)から60頭あまりの着飾った馬たちが鈴の音を響かせながら盛岡八幡宮までの道のりを練り歩く「チャグチャグ馬コ」の神事が行われており、多くの人々が見物に訪れます。
■所在地:岩手県盛岡市八幡町13-1
■電話番号:019-652-5211
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から車で15分/JR「盛岡駅」から岩手県交通バス(長岡線ほか)乗車15分、「八幡宮前」バス停下車
報恩寺
「報恩寺」は、盛岡市の寺町通りにある曹洞宗の寺院で、応永元年(1394)に南部守行が三戸に創建したものと伝わっています。城下町の整備にともない、慶長6年(1601)に盛岡へと移転し、「盛岡五山」のひとつとして隆盛しました。
本堂左手の羅漢堂には「五百羅漢」が祀られています。当時の和尚が享保16年(1731)から4年をかけて京都の仏師につくらせたもので、由緒来歴がわかる羅漢像として貴重なため、盛岡市指定有形文化財になっています。なかにはマルコ・ポーロやフビライ・ハンの像とされるものもあり、異国情緒あふれる作風が特色です。
また、この寺は「奥羽越列藩同盟」を主導して新政府軍に抵抗した責任を負い処刑された盛岡藩筆頭家老・楢山佐渡の最期の地でもあり、1キロほど北の聖寿寺には楢山佐渡の墓があります。
■所在地:岩手県盛岡市名須川町31-5
■電話番号:019-651-4415
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東北自動車道「盛岡インターチェンジ」から車で10分/JR「盛岡駅」から岩手県交通バス(松園・盛岡駅線ほか)乗車10分、「北山」バス停下車、徒歩5分