四国の山間部に位置する雲の上の町・檮原(ゆすはら)町
カルスト地形が広がる四国の山間部に位置する高知県高岡郡梼原(ゆすはら)町は、自然と調和したユニークな建築と棚田に代表される懐かしい風景が魅力となっています。
神在居の千枚田
高知県高岡郡檮原町の東端にある神在居集落は、急斜面にいくつもの棚田が広がる風景で知られ、「神在居の千枚田」とも呼ばれています。作家の司馬遼太郎が著書『街道をゆく』の中で、「千年来、梼原の山々にきざみつけてきた先人の営みは、この田が証している」と絶賛した風景でもあります。
近年は休耕田が目立ってきたことから、全国にさきがけて「千枚田オーナー制度」を設け、全国からの支援を募っています(現在は募集停止中)。千枚田のオーナーになれば地元の農家の指導のもとで、実際に米づくりの体験をすることができます。
■所在地:高知県高岡郡檮原町神在居
■電話番号:0889-65-1250(檮原町まちづくり産業推進課)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR土讃線「須崎駅」から高知高陵交通バス(梼原~須崎線)乗車60分、「神在居」バス停下車/高知自動車道「須崎中央インターチェンジ」から車で50分
雲の上のギャラリー
神在居集落の西、檮原町太郎川にある「雲の上のギャラリー」は、世界的な建築家である隈研吾が手掛けた公共建築で、以前は「隈研吾の小さなミュージアム」が入居していました(「雲の上のホテル」建替えに伴い、檮原町歴史民俗資料館横に移転)。
岩国の錦帯橋、木曽の桟(かけはし)とともに「日本三奇橋」といわれる甲斐の猿橋と同様、刎木(はねぎ)を何本も重ねて空中に突き出しながら橋を組み上げる「刎橋(はねばし)」と呼ばれる伝統的な技法を活用したユニークな建築物です。地元産の杉の木をふんだんに使い、自然豊かな周囲の景観とマッチさせています。
この「雲の上のギャラリー」をはじめ、太郎川公園の一帯は「道の駅ゆすはら」となっており、野菜などの農産物を直売する「雲の上の市場」、キジ丼などご当地グルメが楽しめる「雲の上の食堂」、温浴施設の「雲の上の温泉」などの施設が点在しています。
■所在地:高知県高岡郡檮原町太郎川3799
■電話番号:0889-65-1250(檮原町まちづくり産業推進課)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR土讃線「須崎駅」から高知高陵交通バス(梼原~須崎線)乗車65分、「太郎川公園前」バス停下車/高知自動車道「須崎中央インターチェンジ」から車で55分
龍馬脱藩の道
「龍馬脱藩の道」は、明治維新の立役者といわれる坂本龍馬が、文久2年(1862)に国境の韮ヶ峠を越えて土佐から伊予へと脱藩した際のルートを再現したものです。町内の至るところに「龍馬脱藩の道」の看板が掲げられ、旧道の存在を示しています。
神在居集落からであれば、「神在居の千枚田」を抜け、近世の一揆指導者終焉の地「中平善之進処刑の地碑」の脇から「太郎川公園」を通り、幕末の尊皇攘夷運動に散った吉村虎太郎らの「六志士の墓」、後述する「維新の門」、九十九曲峠の手前にある「宮野々番所跡」、街道筋にあった旅人の休憩所「茶や谷の茶堂」を経て「韮ヶ峠」に至るルートとなります。
維新の門
檮原町の中心部にある「維新の門」は、檮原町にゆかりのある幕末の志士たちの功績を伝えるためにつくられた、これらの志士たちの姿を模したブロンズ像です。
尊王攘夷を掲げ幕府の五條代官所に討ち入った「天誅組の変」の際に命を落とした土佐出身の吉村虎太郎(寅太郎)はじめ6人の志士たちと、土佐をともに脱藩した坂本龍馬・澤村惣之丞の2人を加えた8人の像からなっています。
現在は消滅していますが、「維新の門」のある丘陵上にはかつて檮原川を堀として活用した和田城が築かれており、現在は川西路地区和田島構造改善センターとして城郭風の公共施設が建てられています。
■所在地:高知県高岡郡檮原町川西路2352-1
■電話番号:0889-65-1350(檮原町教育委員会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR土讃線「須崎駅」から高知高陵交通バス(梼原~須崎線)乗車70分、「大越分岐」バス停下車/高知自動車道「須崎中央インターチェンジ」から車で65分