修験道の拠点として世界遺産に登録された信仰の里・吉野町の観光スポット

観光

奈良県の中央に位置する吉野町は、『古事記』や『日本書紀』にも登場する古い歴史をもち、特に古代から中世にかけては修験道の拠点として栄え、いまなお多くの名所旧跡が残ることから、世界遺産にも登録されています。

金峯山寺


「金峯山寺」は、吉野山上にそびえる金峯山修験本宗の総本山です。

飛鳥時代に伝説的な修行者である役小角が開いたとされ、平安時代には中興の祖として聖宝が現れ、蔵王権現を造立するとともに、要路に船の渡し場を設けるなどしています。以後は皇族・貴族をはじめとする参詣が相次ぎ、左大臣・藤原道長もこの地を訪れて経塚を築いており、埋納した経筒が国宝として現存します。

現在の本堂(蔵王堂)は、安土桃山時代に豊臣秀吉の寄進により建立されたもので、国宝に指定されており、高さは実に34メートルと、近代以前の木造建築では全国屈指の規模を誇ります。内部には同様に安土桃山時代の作で、表面がラピスラズリの顔料で青く塗られた3体の蔵王権現立像が安置されており、このうち中尊の高さは7メートルほどです。

金峯山寺
■所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
■電話番号:0746-32-8371
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:京奈和自動車道「五條北インターチェンジ」から車で30分(ただし、観桜期間はマイカー規制あり)/吉野ロープウェイ「吉野山駅」から徒歩10分
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如意輪寺


「如意輪寺」は、金峯山寺から桜の名所・中千本の谷を越えた向こうにある浄土宗の寺院です。平安時代の延喜年間に日蔵上人が開創したと伝えられ、吉野に逃れた後醍醐天皇が勅願寺としました。その後、江戸時代の慶安3年(1650)に文誉鉄牛上人が再興した際、真言宗から浄土宗に改められています。

後醍醐天皇は京都奪還が叶わぬままに吉野の地で崩御し、この寺の裏山に埋葬されたため、境内には「塔尾陵」(とうのおのみささぎ)があります。『太平記』には後醍醐天皇が「玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋マルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望マン」と遺言したとあり、この御陵は通常であれば南面すべきところ、吉野から見た京都の方角に合わせて北面しています。

また、南朝の忠臣・楠木正行は、「四條畷の戦い」に臨むにあたって後醍醐天皇の御陵を参拝し、「かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」の辞世を詠み、本堂の扉に鏃(やじり)で刻んだとされ、宝物殿にはその扉が公開されています。

如意輪寺
■所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山1024
■電話番号:0746-32-3008
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:京奈和自動車道「五條北インターチェンジ」から車で40分(ただし、観桜期間の混雑日にはマイカー規制あり)/近畿日本鉄道吉野線「吉野駅」から徒歩40分
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Travelogues
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