「遠野物語」の舞台となった民話のふるさと・遠野市の観光スポット

2024年9月23日観光旅行

岩手県の内陸部に位置する遠野市は、民俗学者・柳田國男の『遠野物語』の舞台となった民話のふるさとです。物語にはカッパやザシキワラシ、オシラサマ、マヨヒガ、神隠しなど不思議な話が数多く登場し、早池峰山や蓮池(はせき)川に代表される豊かな自然とあいまって、懐かしい雰囲気を醸し出しています。

カッパ淵


カッパ淵」は、曹洞宗常堅寺の裏手にある、小烏瀬(こがらせ)川から分かれた蓮池川の淵で、カッパが出没する場所として有名です。岸辺にはカッパ像が祀られた小祠があり、子育て中の女性が願掛けをすると乳の出がよくなるといわれます。

また、常堅寺には明治時代の神仏分離令にともない早池峰神社から移設された高さ3.5メートルの大きな仁王像や、頭の皿のくぼみに水が貯まる珍しいカッパ狛犬が安置されています。

近くにはこの地方独特の曲り家である国重要文化財の「旧菊池家住宅」や、養蚕・馬の神であるオシラサマを1,000体展示する「オシラ堂」がある「伝承園」などの施設もあります。

カッパ淵
■所在地:岩手県遠野市土淵町土淵7地割
■電話番号:0198-62-1333(遠野市観光協会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR釜石線「遠野駅」から岩手県交通バス(土淵線)乗車20分、「伝承園」バス停下車、徒歩10分/釜石自動車道「遠野インターチェンジ」から車で15分

卯子酉神社


卯子酉神社」は、猿ヶ石川の近くに鎮座する小祠で、江戸時代後期の文久年間に普代村から勧請されたものといわれます。

柳田國男の『遠野物語拾遺』には、かつて神社の脇に片葉の葦が生える池があって、その主に願掛けすると恋愛成就するという言伝えが載っています。このため、現在でも多くの人たちが恋愛成就を求めて赤い布を境内の木に結んで奉納する姿が見られます。

卯子酉神社
■所在地:岩手県遠野市下組町11-23
■電話番号:0198-62-1333(遠野市観光協会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR釜石線「遠野駅」から岩手県交通バス(土淵線)乗車5分、「遠野営業所」バス停下車、徒歩5分/釜石自動車道「遠野インターチェンジ」から車で1分

遠野郷八幡宮


遠野郷八幡宮」は、遠野郷の総鎮守とされる神社で、誉田別命をお祀りしています。

文治5年(1189)、奥州藤原氏の追討に貢献して源頼朝から遠野郷の地頭職を賜った阿曽沼広綱が、代官を派遣して氏神である八幡神を祀ったのがはじまりとされます。

江戸時代にこの地方を統治した南部氏は、現在地に八幡宮を遷座させるとともに、馬場を造成して流鏑馬(やぶさめ)を奉納するようになり、現在も9月の「遠野まつり」の際には、古式に則り「遠野南部流鏑馬」が行われます。

遠野郷八幡宮
■所在地:岩手県遠野市松崎町白岩23地割19
■電話番号:0198-62-2647
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR釜石線「遠野駅」から岩手県交通バス(土淵線)乗車20分、「八幡神社前」バス停下車/釜石自動車道「遠野インターチェンジ」から車で10分

鍋倉城跡


「鍋倉城跡」は、遠野市の市街地の南方にある山城の跡で、国史跡に指定されています。

この城は天正年間に阿曽沼広郷が築城したといわれ、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際、阿曽沼一族による謀反がきっかけで南部氏の領有となりました。寛永4年(1627)には盛岡藩2代藩主・南部利直の命により、それまで八戸根城に拠っていた筆頭家老の南部(八戸)直義(直栄)が遠野1万2千石に国替えとなり、以後は八戸南部氏の支配のもとで明治維新を迎えています。

標高344メートルの鍋倉山には本丸以下の曲輪が築かれ、山麓の来内川が内堀として、早瀬川が外堀として活用されています。弘化4年(1847)の「弘化三閉伊一揆」の際には、1万人以上の百姓が御用金の免除などを求めて早瀬川の河原まで詰め寄せました。

遠野に後から入封した八戸直義も中世山城の曲輪をそのまま利用しており、中世以来の遺構が良好に残っているのが大きな特徴です。現在は「鍋倉公園」として整備され、三の丸の展望台からは遠野の市街地が見渡せます。春にはソメイヨシノをはじめとする桜の花が咲き誇り、花見の名所ともなっています。

鍋倉城跡
■所在地:岩手県遠野市遠野町4地割60-5
■電話番号:0198-62-2111(遠野市環境整備部まちづくり推進課)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR釜石線「遠野駅」から徒歩10分/釜石自動車道「遠野インターチェンジ」から車で5分

南部神社


「南部神社」は、鍋倉山の中腹にある神社で、鍋倉城にゆかりのある遠野南部家の初代から8代までを祀っています。

明治15年(1882)に地元有志の発起により創建されたもので、当初は「鍋倉神社」を称し、遠野南部家の4代・南部師行から8代・南部政光までを祀っていました。昭和19年(1944)に「南部神社」と改称、昭和34年(1959)には遠野南部家初代・南部実長から3代・南部長継までを合祀し、初代から8代までを総称して「勤王八世」としています。

遠野南部家の初代・南部実長(波木井実長)は、甲斐国波木井郷(今の山梨県南巨摩郡身延町)の地頭であり、日蓮に帰依して身延山久遠寺の開基となったことで知られます。その長男・南部実継は、後醍醐天皇の皇子である護良親王に従って赤坂城で鎌倉幕府の軍勢と合戦に及ぶなど、以後代々にわたり南朝方に与する勤王の家系として活躍しました。

南部神社
■所在地:岩手県遠野市東舘町3-6
■電話番号:0198-62-3303
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR釜石線「遠野駅」から徒歩10分/釜石自動車道「遠野インターチェンジ」から車で5分

愛宕神社


「愛宕神社」は、「卯子酉様」のすぐ脇にある石段を登った先にある火遇突知命(かぐつちのみこと)を祀る神社で、かつての遠野城下町の境にあたります。阿曾沼氏が文治年間 (1185~1190年)に勧請し、延宝2年 (1674)に南部直栄が再興したといわれます。

柳田國男の『遠野物語拾遺』には、大徳院の和尚の姿に変化した愛宕様が、手桶の水を掛けて町内の火事を消したという伝説が載せられており、火防の神として信仰されてきました。

愛宕神社
■所在地:岩手県遠野市綾織町新里31地割61
■電話番号:0198-62-1333(遠野市観光協会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR釜石線「遠野駅」から岩手県交通バス(土淵線)乗車5分、「遠野営業所」バス停下車、徒歩5分/釜石自動車道「遠野インターチェンジ」から車で1分

山﨑金勢様


山﨑金勢様」は、昭和47年(1972)、治水工事中に土中から偶然発見された陽物の形状をした石です。

柳田國男の『遠野物語』にも、同様に金勢様を祀る話が登場していますが、「山﨑金勢様」については高さが1.5メートルと、特に巨大な姿であるのが特徴です。現在はお宮の内部に祀られており、子宝に恵まれる、婦人の腰の病気に効く、豊作のご利益があるなどとして信仰され、毎年5月5日に例祭が行われます。

山﨑金勢様
■所在地:岩手県遠野市土淵町栃内16地割
■電話番号:0198-62-1333(遠野市観光協会)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR釜石線「遠野駅」から岩手県交通バス(土淵線)乗車40分、「山﨑」バス停下車、徒歩20分/釜石自動車道「遠野インターチェンジ」から車で20分
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Travelogues
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