千曲川沿いの盆地に広がる佐久市の観光
群馬県との県境に位置する長野県佐久市は、千曲川沿いの佐久盆地に開けたまちで、かつて中山道の宿場町として、また岩村田藩や田野口藩の陣屋町として栄えた歴史をもっています。近年は中部横断自動車道の開通により、交通の要衝としての存在感も高まっています。
旧中込学校
旧中込学校は、明治5年(1872)の学制発布を受けて建築された中込学校の校舎です。
地元の大工で渡米して建築技術を学んだ市川代治郎の設計のもと、明治8年(1875)に竣工したもので、国内の学校建築のなかでも現存最古級の擬洋風建築物として、国重要文化財および国史跡に指定されています。
窓にはステンドグラスがはめ込まれていたことから、当時「ギヤマン学校」と呼ばれて珍しがられたといいます。また、中央にそびえ立つ八角塔は「太鼓楼」と呼ばれ、天井にはニューヨークやローマなど世界の主要都市の名前が書かれた方位図があり、上から時を告げる太鼓が吊るされていました。
現在は有料で公開され、教科書やオルガン、教育用の掛図などのさまざまな資料が展示されています。
■所在地:長野県佐久市中込1877
■電話番号:0267-62-7845
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:中部横断自動車道「佐久南インターチェンジ」から車で10分/JR小海線「滑津駅」から徒歩3分
■開館時間:9時-17時(11月-3月は9時-16時)
■休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、第2火曜日、年末年始
■入場料:大人260円、高校生・大学生150円、小中学生120円
■駐車場:無料
貞祥寺
貞祥寺は、佐久市の前山地区にある曹洞宗の寺院です。
室町時代の大永元年(1521)、前山城主・伴野貞祥が父の追善供養のために建立したもので、七堂伽藍を備えた佐久市内きっての大寺院となっています。
境内の杉木立や苔の絨毯の光景は印象的で、江戸時代の惣門・山門はともに国の重要文化財です。また、境内の最奥部には廃仏毀釈にともない小海町の神光寺から買い取って移築された三重塔があり、こちらも長野県宝に指定されています。
さらに参道の傍らには、小諸義塾で英語や国語の教師をしていたころに住んでいた「島崎藤村旧宅」も移築復元されています。
■所在地:長野県佐久市前山1380-3
■電話番号:0267-62-0325
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:中部横断自動車道「佐久南インターチェンジ」から車で10分
■駐車場:無料
龍岡城五稜郭
龍岡城五稜郭は、佐久市田口にある星形の要塞で、函館とともに我が国に2つしかない五稜郭のもう一方にあたります。
江戸幕末の文久3年(1863)、奥殿藩主・松平乗謨(のりかた)は、飛び地の領地があった田野口に陣屋を新築し、あわせて山間部で手狭な奥殿から田野口に藩庁を移転する許可を幕府から得ています。
こうして元治元年(1864年)に築城が開始されたのが龍岡城であり、かねて西洋軍学に関心のあった藩主により星形要塞として落慶され、慶応3年(1867)には御殿の建物が竣工しています。ただし、城全体としては未完成のまま明治維新を迎えたものとみられ、空中から見ると南西部の星型の一部が欠けています。
明治維新後は廃城となり、長らく佐久市立田口小学校の校地として利用されてきましたが、この小学校は令和5年(2023)に閉校し、今後は龍岡城竣工時の姿にできるだけ近いかたちでの復元整備が進められる見込みです。
■所在地:長野県佐久市田口下町3000−1
■電話番号:0267-63-5321
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:中部横断自動車道「佐久臼田インターチェンジ」から車で10分/JR小海線「臼田駅」または「龍岡城駅」から徒歩20分
■駐車場:無料
蕃松院
蕃松院は、佐久市田口にある曹洞宗の寺院で、中世の山城である田口城跡の麓に位置しています。
古くは明法寺と呼ばれていたといいますが、天正12年(1584年)、田口城主で岩尾城攻略の際に戦死した依田信蕃の菩提を弔うため、子の依田(松平)康国が田口城の居館跡にあたる現在地に移し、寺号も改めたということです。江戸時代には田野口藩主の位牌を安置し、その菩提寺にもなっていました。本堂脇にはかつての田口城へと至る山道が続いており、近くの展望台から龍岡城五稜郭の全貌を見ることができます。
また、境内の墓地には田口城主・依田信蕃の墓とされる五輪塔や、江戸時代に年貢減免を求め陣屋に強訴して処刑された小林孫左衛門の墓なども残されています。
■所在地:長野県佐久市田口2893
■電話番号:0267-82-6183
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:中部横断自動車道「佐久臼田インターチェンジ」から車で10分/JR小海線「臼田駅」または「龍岡城駅」から徒歩20分
■駐車場:無料