寺内町の面影が残る井波・城端を歩く
富山県の南部に位置する南砺市には、かつて一向一揆が盛んだった土地柄を反映し、大寺院と一体となって町割りが行われた寺内町の面影がよく残っています。
善徳寺を中心に栄え「曳山祭」でも知られる越中の小京都・城端、瑞泉寺門前に木彫の作業場が並ぶ井波など、伝統的な風景を歩いて堪能することができます。
善徳寺:城端寺内町の中心となる寺院
南砺市の城端エリアの中心にあるのが「善徳寺」です。
浄土真宗の北陸布教に努めた本願寺八世・蓮如上人が、文明4年(1472)に開基した寺院と伝わっています。
戦国時代に城が鼻城主・荒木大膳が城内の土地を寄進したため現在の場所に移り、境内の「太鼓堂」は城の遺構といわれます。
江戸時代には越中寺院の触頭役となり、加賀藩主の子を住職として迎えたこともありました。
毎年7月の恒例行事となっている「虫干法会」は有名で、寺院が所蔵している貴重な宝物が披露されます。
善徳寺境内の外観は無料で拝観することができますが、ほかにも拝観料400円で院内拝観もできるようになっています。ただし、事前予約をしておくことが必要です。
内部拝観をする場合は、寺務所で受付をして拝観料を現金で支払い、以後は寺院スタッフによる解説があります。
本堂や対面所(武者隠しがある)、大納言の間(加賀藩主前田利長が宿泊した場所)、御殿の間といった場所の見どころがわかります。
■所在地:富山県南砺市城端405
■電話番号:0763-62-0026
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR城端線「城端駅」から徒歩10分、又は南砺市営バス「なんバス」2分、「城端別院善徳寺バス停」下車/東海北陸自動車道「福光インターチェンジ」又は「城端スマートインターチェンジ」から車で10分
■駐車場:山門50メートル東の「善徳寺交差点」角に無料の公営駐車場あり
浄念寺:善徳寺に隣接する看房の一つ
「善徳寺」の境内北側から道路を挟んで隣り合う位置に「浄念寺」があります。
この寺は浄念が開基したもので、蓮如上人が北陸を訪れた際に帰依して「浄念」の法名を授かった人物です。
もとは砺波郡鹿島村、現在の砺波市鹿島にあったものの、江戸時代の寛文4年(1664)にこの地に移転したため、山号を「鹿島山」といいます。
御坊坂の通り沿いに間口五間半の本堂が建っており、真覚寺・恵林寺・伝栄寺・龍勝寺とあわせて「善徳寺」の看坊5か寺の一つです。
■所在地:富山県南砺市城端405-4
■電話番号:0763-62-0462
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR城端線「城端駅」から徒歩10分、又は南砺市営バス「なんバス」2分、「城端別院善徳寺バス停」下車/東海北陸自動車道「福光インターチェンジ」又は「城端スマートインターチェンジ」から車で10分
■駐車場:「善徳寺交差点」隣接地及び御坊坂下に無料の公営駐車場あり
城端ハイウェイオアシス:高速道路から行ける便利な施設
「東海北陸自動車道」を通行するドライバーのための休憩施設である「城端サービスエリア」から、高速道路を降りずに利用できるエリア外の施設の集まりが「城端ハイウェイオアシス」です。
ここには桜ヶ池・桜ヶ池クアガーデン・桜ヶ池クライミングセンター・ヨッテカーレ城端・南砺市クリエイタープラザがあります。
桜ヶ池の周囲は「桜ヶ池公園」として整備され、ロング滑り台やレールウェイなどの遊具や展望台があるほか、池の周囲を巡る散策路もあり、春は満開の桜を愛でることができます。
「桜ヶ池クアガーデン」では温泉への入浴やレストランでのランチ、ホテルの宿泊がすべて可能で、滞在観光にはもってこいの施設です。
「桜ヶ池クライミングセンター」は初心者から上級者まで楽しめる、全天候型のボルダリングの施設で、初回はスタッフからボルダリングのルールや注意事項の説明があるので安心です。
「ヨッテカーレ城端」は、地元野菜の直売やおむすび・軽食の提供を行う施設で、裏手はひまわり畑になっています。
「南砺市クリエイタープラザ」は、地方のクリエイターの拠点として整備された、テレワーク可能なコワーキングスペースやカフェなどからなる施設で、隣接地には「SHIROBAKO」や「ウマ娘プリティーダービー」などの人気アニメ作品で知られるアニメ制作会社「ピーエーワークス」の社屋があります。
■所在地:富山県南砺市立野原東地内
■公式サイト:[こちらをクリック]
■関連リンク:桜ヶ池公園/桜ヶ池クアガーデン/桜ヶ池クライミングセンター/ヨッテカーレ城端/南砺市クリエイタープラザ
道の駅井波:井波彫刻がテーマの観光拠点施設
「道の駅井波」は、国道471号の南600メートルほどの、旧町内を取り巻く環状道路沿いに位置する道の駅です。
普通車・大型車あわせて100台分以上の広大な駐車場がありますので、井波の町並みを散策する上での拠点として活用することができます。
場内には、木彫家たちの工房が集まる「匠工房」、クラフト体験ができる「くりえーと工房」、地域の伝統工芸を展示する「井波彫刻総合会館」など、「井波彫刻」をコンセプトにしたさまざまな施設が並んでいます。
また、爆盛り系メニューが豊富で会席プランにも対応できる和風レストランも完備されています。
■所在地:富山県南砺市北川730
■電話番号:0763-82-5757
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR城端線「福光駅」から加越能バス(南砺~金沢線)15分、「瑞泉寺口交通広場バス停」下車、徒歩15分/東海北陸自動車道「南砺スマートインターチェンジ」から車で15分
■駐車場:無料
安政義人慰霊之碑:百姓一揆の歴史を伝える石碑
「道の駅井波」から寺内町の中心である「瑞泉寺」に向かう途中にあるのが「安政義人慰霊之碑」です。
江戸時代も終わりの頃の安政5年(1858)、米価暴騰で困窮した人々が井波の米屋数軒を襲う「長崎村茂右衛門騒動」と呼ばれる百姓一揆がありました。
この一揆では当日に槍で突かれて死亡した者1名、加賀藩公事場の牢屋に入れられた者20数名があったほか、長崎村茂右衛門が首謀者として井波字観音寺において磔により処刑されました。
昭和24年(1949)、この「安政義人」の壮挙に感動した人々が建立したのが「安政義人慰霊之碑」であり、後に改修されて玉垣や灯籠も新設されています。
■所在地:富山県南砺市井波地内
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR城端線「福光駅」から加越能バス(南砺~金沢線)15分、「瑞泉寺口交通広場バス停」下車、徒歩10分/東海北陸自動車道「南砺スマートインターチェンジ」から車で15分
■駐車場:東町公民館駐車場に隣接
井波八幡宮:かつての井波城本丸に建つ八幡宮
かつての井波城本丸跡に建てられた神社で、今でも井波城跡の土塁などが多く残っています。
井波城とは、中世に一向一揆の拠点だった瑞泉寺が武装化し、土塁や濠などを敷地の周囲に巡らして築いた城郭で、天正9年(1581)に佐々成政に攻められて落城しました。
境内には本願寺五世・綽如上人の乗る馬が足で地面を掻いたところ、清水が湧き出したという伝説が「臼浪水(きゅうろうすい)」があり、これが「瑞泉寺」という寺名の由来で、城の井戸水でもあったといいます。
本殿西側には江戸時代の文久元年(1861)に地元の蚕業者が建立した総ケヤキ造りの「蚕堂」があり、木彫工芸で有名な井波の建築技術の高さをうかがうことができ貴重です。
■所在地:富山県南砺市井波3053
■公式サイト:[こちらをクリック]
■電話番号:0763-82-0104
■交通アクセス:JR城端線「福光駅」から加越能バス(南砺~金沢線)15分、「瑞泉寺口交通広場バス停」下車、徒歩10分/東海北陸自動車道「南砺スマートインターチェンジ」から車で15分
■駐車場:無料
八日町通り:井波彫刻の工房が集まる路地
「瑞泉寺」の門前から延びる井波の町のメインストリートが「八日町通り」です。
井波の瑞泉寺は歴史の中で何度も火災に遭っていますが、そのたびに復興を遂げてきました。
当然ながら、復興にたずさわる大工の需要も盛んだったといえます。
加賀藩初代藩主としても知られる前田利長は、領内の大工らに職人役を課す代わりとして、屋敷と土地を与えて町役免除の特権を与えていました。
文禄3年 (1594) 、豊臣秀吉の伏見城造営や朝鮮出兵で功績のあった大工10人に対し、前田利長が井波に屋敷と土地を与えており、これを「井波拝領地大工十人衆」と呼んています。
瑞泉寺は江戸時代の宝暦13年(1763)にも焼失していますが、特に安永3年(1774)の本堂再建に当たり、「井波拝領地大工」が京都本願寺の御用彫刻師だった前川三四郎から優れた彫刻の技法を学んだのが、今の「井波彫刻」の始まりとされます。
明治時代以降は寺社彫刻のみならず、住宅用の欄間彫刻などにも活躍の幅を広げており、石畳で舗装された「八日町通り」の沿道には、多くの木彫職人らの工房が集まっています。
江戸時代から続く風情ある通りの景色は「日本遺産」にも登録されており、今も訪れる人が絶えません。
■所在地:富山県南砺市井波地内
■公式サイト:[こちらをクリック]
■電話番号:0763-82-2539(井波交通広場観光案内所)
■交通アクセス:JR城端線「福光駅」から加越能バス(南砺~金沢線)15分、「瑞泉寺口交通広場バス停」下車/東海北陸自動車道「南砺スマートインターチェンジ」から車で15分
■駐車場:「井波交通広場」は普通車1日210円、「道の駅井波」は無料
瑞泉寺:井波寺内町の中心となる寺院
井波の寺内町の中心をなす「瑞泉寺」は、本願寺五世・綽如上人が諸国に「勧進状」を回して浄財を募り、明徳元年(1390)、後小松天皇の勅願所として開いた寺院です。
その後は一向一揆の拠点となり、福光城主・石黒光義を敗死させるとますます寺勢は盛んになり、周囲に土塁や濠を巡らして「井波城」を構え、あわせて寺内町の町並みも整備されています。
天正7年(1579)の佐々成政の攻撃で落城すると、一時は城端の北野まで逃れますが、江戸時代の寛永19年(1642)になってようやく井波に戻って現在地に再建されました。
「瑞泉寺」境内の数々の建造物には優れた彫刻が施されており、山門正面の「波に龍」の彫刻は前川三四郎の手によるもので、富山県有形文化財に指定されています。
また、明治時代に再建された本堂は、北陸最大の木造建築物といわれます。
■所在地:富山県南砺市井波3050
■公式サイト:[こちらをクリック]
■電話番号:0763-82-0004
■営業時間:通年9:00~16:30(閉門17:00)
■拝観料:大人500円、中学生以下無料
■交通アクセス:JR城端線「福光駅」から加越能バス(南砺~金沢線)15分、「瑞泉寺口交通広場バス停」下車、徒歩5分/東海北陸自動車道「南砺スマートインターチェンジ」から車で15分
■駐車場:「井波交通広場」は普通車1日210円、「道の駅井波」は無料
高瀬神社:縁結びのご利益がある越中国一宮
越中國一宮として古くから信仰を集める「高瀬神社」は、大国主命を御祭神としています。
越中国では国府がしばしば移転しており、朝廷から派遣された越中国司が国内神社を巡拝するに当たって最初に参拝することになる一宮には、この「高瀬神社」のほかにも気多神社・射水神社・雄山神社があります。
草創は景行天皇11年ともいわれ、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』にも小社として載せられています。
神仏習合の時代には勧学院が別当寺となっており、現在は建物は何もないものの、神社の周囲に「勧学院」という地名だけが残っています。
文明13年(1481)に福光城主・石黒光義が一向一揆との戦闘に及んで敗死した際には、この「高瀬神社」も兵火にかかり、神職らが現在の南砺市庄川町にある「雄神神社」に逃れていますが、江戸時代になると加賀藩の庇護を受けて復興が図られました。
「高瀬神社」には正月の初詣の時期に毎年20万人もの人々が訪れており、駅までのシャトルバスも登場するほどのにぎわいがあります。
また、大国主命は殖産興業のほか縁結びの神としても知られることから、神社の境内ではしばしば神前結婚式が催されています。
■所在地:富山県南砺市高瀬291
■公式サイト:[こちらをクリック]
■電話番号:0763-82-0932
■交通アクセス:JR城端線「福光駅」から加越能バス(加越線)10分、「高瀬神社前バス停」下車、徒歩5分/東海北陸自動車道「南砺スマートインターチェンジ」から車で15分
■駐車場:無料