「北の小京都」として知られる福山城の城下町・松前

松前城 観光
この記事は約5分で読めます。

北海道の渡島半島南端に位置する松前町は、江戸時代には松前氏の支配する福山城(松前城)の城下町として交易で栄えました。天守は戦前には国宝(現行法でいう重要文化財)に指定されていましたが、失火により焼失した後に再建されています。

福山城の周辺にも、法幢寺をはじめとする寺院や松前氏歴代の墓地などが残り、今も城下町のたたずまいを感じさせます。

福山城(松前城):最北にして最後の日本式城郭

松前城

松前町の市街地を見下ろす高台にあるのが「松前城」です。

初代藩主・松前慶広は、慶長11年(1606)、それまで拠点としていた「大館」(徳山館)からこの地に移りましたが、蝦夷地では稲作ができず無高の大名だったため、城ではなく「福山館」と呼ばれていました。

異国船が出没するようになった嘉永2年(1849)、幕府は松前氏に海上防備のための築城を命じ、それまでの「福山館」を拡張して安政元年(1855)に完成したのがこの「福山城」(松前城)です。

本丸から三の丸までは2万坪あまりの広さがあり、本丸には三重櫓がそびえ、海に向かって砲台が設置されていました。

明治元年(1868)、旧幕府軍(蝦夷共和国)の土方歳三らの攻撃で落城、明治7年(1874)に廃城となり多くの建物が解体されますが、天守などはその後も残り、昭和10年(1935)、当時の「国宝保存法」でいう国宝(現在の「重要文化財」)の指定を受けています。

昭和24年(1949)、役場の失火が原因で天守を焼失し、本丸御門(大手門)を残すのみとなりましたが、この本丸御門(大手門)は昭和25年(1950)に重要文化財に指定され、昭和36年(1961)には鉄筋コンクリート造ですが天守も再建されています。

現在は福山城址を中心とする一帯が「松前公園」として整備され、8千本の桜が彩る花の名所として知られているほか、付近には江戸時代の松前を再現したテーマパークとして武家屋敷やニシン漁の番屋などの建物が復元された「松前藩屋敷」もあります。

福山城(松前城)
■所在地:北海道松前郡松前町字松城144
■電話番号:0139-42-2216
■入館料:大人(高校生以上)360円、小中高生240円
■営業時間:4月10日~12月10日の9時~17時(入館受付は16時30分まで)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR北海道新幹線・道南いさりび鉄道線「木古内駅」から函館バス(函館・松前線)乗車90分、「松城バス停」下車、徒歩10分/函館江差自動車道「木古内インターチェンジ」から車で60分

法幢寺:松前家菩提寺で門昌庵事件の舞台

法幢寺

城址の裏手に位置する「法幢寺」は、延徳2年(1490)、若狭国神通寺(今の福井県小浜市)の宗源和尚が当時の大館に創建したといわれます。

松前藩主の菩提寺で、江戸時代には曹洞宗の触頭寺院でもあり、山門は天保9年(1838)に再建されたものです。

この寺院は、「門昌庵事件」で知られる柏巌(はくがん)和尚が住職を務めた寺院でもあります。

門昌庵事件とは

松前藩5代藩主・松前矩広の愛妾だった松江は、名僧の誉れ高い柏巌峰樹和尚が住職を務める法幢寺に仏参することが多かったところ、松江と柏巌和尚が男女の関係にあると藩主に讒言する者がありました。

讒言を真に受けた藩主・矩広は、松江を呼び出すと問答無用で切り捨てるとともに、柏巌和尚を熊石村(今の二海郡八雲町)に流罪とし、延宝6年(1678)12月には和尚を刎首の刑に処しました。

江戸時代の紀行家・菅江真澄の『蝦夷喧辞弁』(えみしのさえき)によれば、和尚は大般若経の理趣分を逆さに読みながら呪いの言葉を吐いて亡くなり、役人が首級を松前に移送する途中で一泊した江差の寺は、祟りによる出火で全焼してしまったといいます。

祟りなど伝説的な要素が多いこの事件は、柏巌和尚が流刑地の熊石村に結んだ庵の名をとって「門昌庵事件」といわれ、八雲町熊石畳岩町の門昌庵境内には今も柏巌和尚の墓があります。

もっとも、このころ松前藩では蠣崎広隆ら家老5人が相次いで変死しており、「門昌庵事件」は単なる痴情のもつれなどではなく、藩主一門間の内部抗争が原因ではないかとする見方(『松前町史』)もあります。

法幢寺
■所在地:北海道松前郡松前町松城307
■電話番号:0139-42-2209
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR北海道新幹線・道南いさりび鉄道線「木古内駅」から函館バス(函館・松前線)乗車90分、「松城バス停」下車、徒歩15分/函館江差自動車道「木古内インターチェンジ」から車で60分

松前藩主松前家墓所:歴代藩主の眠る場所

松前藩主松前家墓所

「松前藩主松前家墓所」は、法幢寺境内北側にある国指定史跡で、歴代の松前藩主やその妻子ら55基の墓碑が建てられています。

墓碑の多くが石廟の中に入れられており、北前船による交易を通じて入手した越前国足羽山(今の福井県福井市)が特産の笏谷石(しゃくだにいし)などが使われています。

なお、藩祖の武田信広から4世季広までは1つの墓碑による合祀墓となっていますが、これは後世になって造立されたものです。

松前藩主松前家墓所
■所在地:北海道松前郡松前町松城341
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR北海道新幹線・道南いさりび鉄道線「木古内駅」から函館バス(函館・松前線)乗車90分、「松城バス停」下車、徒歩15分/函館江差自動車道「木古内インターチェンジ」から車で60分

松前神社:藩祖を祀る近代の神社

松前神社

松前神社」は、旧福山城(松前城)二の丸に鎮座する神社で、松前藩の祖・武田信広を祀っています。

藩主の松前氏は藩祖・武田信広にはじまる代々の霊を「松世祠」として祀ってきましたが、明治時代になると旧藩士などから神社創設を求める声が上がりました。

そこで北海道開拓使に出願の上、明治14年(1881)に法幢寺前から松世祠を移して創建されたのがこの神社です。

大正7年(1918)には旧社格でいう県社に列せられており、扁額は有栖川宮幟仁親王が揮毫しています。

松前神社
■所在地:北海道松前郡松前町字松城145
■電話番号:01394-2-2032
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR北海道新幹線・道南いさりび鉄道線「木古内駅」から函館バス(函館・松前線)乗車90分、「松城バス停」下車、徒歩10分/函館江差自動車道「木古内インターチェンジ」から車で60分
このページの編集者
Travelogues
※ このページの写真や文章を引用される場合は、当サイトへのリンクを貼るなどして出典を明示(デザインを損なわない程度の小さな文字で結構です)してください。事前のご連絡は不要です。