蝦夷ヶ島の中世が見える上ノ国の歴史散歩
北海道の渡島半島南西部にある上ノ国町は、道内でもっとも早く和人の進出が見られた地域であり、松前藩祖である武田信広が築いた勝山館跡をはじめ、「蝦夷ヶ島」と呼ばれていた中世から続く歴史的な名所の数々が残ります。
勝山館跡
「勝山館跡」は、上ノ国の町並みを見下ろす夷王山の傾斜地を利用した中世の館跡です。
後の松前藩の藩祖となる武田信広が築いたもので、くわしい築造年代は不明ですが、文明5年(1473)以前とみられています。
武田信広は、「道南十二館」の一つとされる花沢館の館主・蠣崎季繁(かきざきすえしげ)の客将であり、コシャマインの乱を平定した功績を認められ、婿入りして蠣崎家を継いだ人物です。
発掘調査により堀や土塁、住居、神社、井戸などの構造物の跡が確認されたほか、陶磁器や金属製品、アイヌが使用したとみられる骨角器などの豊富な遺物が出土しています。
さらに、この勝山館の後背地には、和人とアイヌの混住を示唆する600基以上の中世墳墓群「夷王山墳墓群」や、夷王山山頂に葬られた武田信広を祀る「夷王山神社」もあります。
現在は遊歩道が整備され、これらの遺跡を気軽に散策できるほか、「勝山館跡ガイダンス施設」で全体模型や復元された墳墓のようすなどを見ることもできます。
■所在地:北海道檜山郡上ノ国町勝山427
■営業日時:4月~11月初旬の月曜日・祝日の翌日を除く10時~16時
■電話番号:0139-55-2400
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR・道南いさりび鉄道「木古内駅」から車で55分
上ノ国八幡宮
「上ノ国八幡宮」は、勝山館の鎮護として武田信広が館内に創建した「館神八幡宮」がはじまりで、明治時代に旧社格制度でいう郷社となったため、山麓の現在地に遷座したものです。その際、「鰊神」として大蔵法印秀海を祀っていた若宮神社が合祀されました。
江戸時代に編纂された松前藩の史料集『福山秘府』によれば、武田信広による八幡宮の創建は文明5年(1473)、本殿の造替は元禄12年(1699)のこととされています。
本殿は拝殿奥の覆屋内にあるためふだんは見ることができませんが、北海道内の神社建築としては最古のものであり、北海道有形文化財に指定されています。
上国寺
「上国寺」は、夷王山の山麓にある寺院で、室町時代の創建ともいわれます。江戸時代の紀行家・菅江真澄は『蝦夷喧辞弁(えみしのさえき)』で「永禄のむかし」(1558~1570年)の創建としています。
本堂は天井に残る墨書から宝暦8年(1758)の建立とみられており、江戸時代の仏堂建築として貴重であることから、国の重要文化財の指定を受けています。
旧笹浪家住宅
「旧笹浪家住宅」は、上ノ国で鰊(にしん)漁などの漁業を営んでいた笹浪家の家屋で、主屋の土間には漁夫のたまり場があるなど、特徴的なつくりとなっています。
笹浪家はもともと能登国笹波村(今の石川県珠洲市)の出身で、主屋は19世紀前半、5代目当主の久右衛門が建てたといわれます。
主屋のほかにも江戸時代の米蔵や文書蔵があり、北海道内の現存民家としては最古の部類にあたることから、国重要文化財に指定されています。
なお、米蔵や文書蔵の内部はガイダンス施設として活用されており、上ノ国の歴史に関する各種展示を見ることができます。
■所在地:北海道檜山郡上ノ国町字上ノ国236
■営業日時:4月~11月初旬の月曜日・祝日の翌日を除く午前10時~午後4時
■電話番号:0139-55-1165
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:JR・道南いさりび鉄道「木古内駅」から車で50分