佐竹氏・水戸徳川氏ゆかりの歴史の郷・常陸太田市の観光スポット

常陸太田市

2024年12月6日観光旅行

常陸太田市は、茨城県の北部にある自然豊かな都市で、市街地は阿武隈山地の山々に囲まれ、その間を清流・久慈川が流れています。中世には清和源氏である佐竹氏の本拠地として栄え、近世には水戸黄門として知られる水戸藩主・徳川光圀が隠居所を開きました。

西山御殿・西山の里 桃源

西山の里 桃源

「西山御殿」は、「水戸黄門」の通称で知られる水戸藩2代藩主・徳川光圀が隠居所とした御殿を復元したものです。光圀は元禄3年(1690)に藩主の座を養嗣子・綱條(つなえだ)に譲った後、元禄4年(1691)から元禄13年(1700)に亡くなるまでの期間をここで過ごし、日本の歴史書『大日本史』の編纂などに勤しみました。御殿は徳川御三家の藩主に似つかわしくない茅葺き・平屋建てのもので、質素を重んじた光圀の思想がうかがえます。

「西山の里 桃源」は、この「西山御殿」の入口につくられた休憩施設で、飲食コーナーや郷土の物産コーナー、展示コーナーなどを有し、常陸太田市内を巡る観光の拠点となっています。「西山御殿」に至る通路沿いは8,000平方メートルほどの園地となっており、初夏の季節になると青い菖蒲の花が一面に咲き誇ります。

西山御殿・西山の里 桃源
■所在地:茨城県常陸太田市新宿町590ほか
■電話番号:0294-72-1538(西山御殿)
■入館料:桃源は無料、西山御殿は大人1,500円、子ども900円
■営業時間:9:00-16:00(西山御殿)
■公式サイト:
■交通アクセス:常磐自動車道「日立南太田インターチェンジ」から車で30分/JR水郡線「常陸太田駅」から茨城交通バス乗車30分、「西山荘入口」バス停下車
広告

久昌寺

久昌寺

久昌寺」は、水戸藩2代藩主・徳川光圀が生母・久昌院の供養のために創建した日蓮宗の寺院です。もとは今の西山研修所のあたりに位置しており、風光明媚なことから9代藩主・徳川斉昭が「水戸八景」のひとつ「山寺の晩鐘」に掲げています。

明治時代に廃仏毀釈政策により衰退しましたが、末寺と統合して現在地に再興され、裏山には新たに「義公廟」も建てられ、光圀が収集した一切経などが奉納されています。

久昌寺
■所在地:茨城県常陸太田市新宿町239
■電話番号:0294-72-4888
■公式サイト:
■交通アクセス:常磐自動車道「日立南太田インターチェンジ」から車で20分/JR水郡線「常陸太田駅」から茨城交通バス乗車10分、「西二丁目」バス停下車、徒歩10分
広告

正宗寺

正宗寺

正宗寺」は、延長元年(923)、平将門の父に当たる平良将が創建した寺院で、当初は「勝楽寺」を称していました。暦応4年(1341)、その境内に佐竹貞義の子・月山周枢が夢窓疎石を開山として「正宗庵」を創建し、その後「正宗寺」に改められ、佐竹氏の菩提所として栄えました。

本尊の木造十一面観音菩薩坐像は鎌倉末期に製作されたもので、茨城県指定の有形文化財です。境内には「佐竹氏累代の墓」と伝えられる宝篋印塔や、『水戸黄門漫遊記』に登場する「助さん」のモデルとされる水戸藩の史臣・佐々宗淳(むねきよ)の墓もあります。

佐々宗淳の墓

佐々宗淳の墓

『水戸黄門漫遊記』に登場する「助さん」のモデルとして有名な佐々宗淳は、徳川光圀のもとで『大日本史』の編纂に携わり、全国各地を探訪して高野山文書や東大寺文書などの調査に勤しむとともに、那須国造碑の修復や侍塚古墳の発掘でも活躍しました。元禄元年(1688)には『大日本史』の編集部に当たる彰考館の総裁に任命され、晩年は徳川光圀が隠居する西山御殿の近くで過ごし、この地で亡くなりました。その墓は正宗寺本堂裏手の境内墓地の一角にあります。

佐竹氏累代の墓

佐竹氏累代の墓

同じ正宗寺の墓地内に並ぶ宝篋印塔は、「佐竹氏累代の墓」と伝えられるものです。佐竹氏19代当主・佐竹義宣は、「関ヶ原の戦い」で日和見的な態度を取ったため、慶長7年(1602)、常陸国から出羽国秋田に転封となりますが、その際、墓石は動かさず位牌のみを秋田に持ち去ったものとみられています。戦後、境内に散在していた宝篋印塔を1か所に集めたため、それぞれ誰の墓石であるのかは不明になってしまっているということです。

正宗寺
■所在地:茨城県常陸太田市増井町1514
■電話番号:0294-73-0897
■公式サイト:
■交通アクセス:常磐自動車道「日立南太田インターチェンジ」から車で20分/JR水郡線「常陸太田駅」から茨城交通バス乗車10分、「増井」バス停下車、徒歩10分
広告

佐竹寺

佐竹寺

佐竹寺」は、坂東三十三観音霊場の札所に数えられる真言宗の寺院です。平安時代の寛和元年(985)、花山法皇の勅願により元密上人が開基したとされています。源義業の子・昌義は、この寺で珍しい竹を見つけ、瑞祥として「佐竹」を名乗ったという伝説もあり、その後の佐竹氏は戦国時代には常陸一国を領する大大名にまで成長します。

この寺院の本堂は、天文15年(1546)に佐竹義昭が再建した寄棟造・茅葺のもので、正面の火頭窓などに桃山時代の建築様式が残る希少性から、国の重要文化財に指定されています。また、周辺には佐竹氏初代の昌義が築いた「馬坂城跡」などもあります。

佐竹寺
■所在地:茨城県常陸太田市天神林町2404
■電話番号:0294-72-2078
■公式サイト:
■交通アクセス:常磐自動車道「日立南太田インターチェンジ」から車で20分
このページの編集者
Travelogues
※ このページの写真や文章を引用される場合は、当サイトへのリンクを貼るなどして出典を明示(デザインを損なわない程度の小さな文字で結構です)してください。写真の拡大・縮小やトリミングは自由です。事前または事後のご連絡も不要です。