夜を徹する郡上踊りで有名な水の都・郡上市の観光スポット

観光

岐阜県郡上市は、夜を徹して行われるユニークな「郡上おどり」で全国的にも有名ですが、それ以外にも、国の重要伝統的建造物群保存地区である八幡城の城下町には清らかな水路が流れ、昔ながらの多くの神社仏閣が集まるなど、見どころが豊富な「奥美濃の小京都」です。

八幡城


「八幡城」は、郡上市の八幡山上に築かれた山城(後に平山城)で、「続日本100名城」のひとつに選定されています。

永禄2年(1559)、兄の復讐を名目に遠藤盛数が郡上領主・東常慶(つねよし)に兵を挙げた「赤谷山城の戦い」において、盛数が八幡山上に陣を構えたことがはじまりといわれます。その後に遠藤盛数の子・慶隆(よしたか)が城下町を整備しますが、本能寺の変後に追放され、次いで城主となった稲葉貞道(さだみち)が本格的な近世城郭へと改修しました。

現在の天守は、昭和8年(1933)に4層5階の模擬天守として建設されたもので、木造再建城としては日本最古の天守であり、内部は資料館として活用されています。また、野面積(のづらづみ)の石垣を含む城跡は岐阜県の指定史跡です。

およし塚


「およし塚」は、八幡城本丸の石垣の下にある、人柱およしを偲んで建てられた石碑です。八幡城の普請がなかなか進まないため、17歳になる神路村(今の郡上市大和町神路)のおよしが人柱として地中に埋められたという伝説にもとづくものです。ほかに城内や山麓の善光寺におよしを供養する「およし観音堂」があります。

宝暦義民碑


宝暦義民碑」は、宝暦4年(1754)に郡上藩で発生した大規模な百姓一揆「郡上一揆」の犠牲者を顕彰する石碑で、郡上八幡ホテル積翠園の入口にあります。この一揆では領内2千人以上の百姓が城下の御蔵会所に集まって年貢軽減などを要求し、最終的に大名・金森頼錦(かなもりよりかね)の改易に至りました。石碑は百姓らが団結の証として作成した傘連判状をモチーフにしています。

八幡城
■所在地:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
■電話番号:0575-67-1819
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:東海北陸自動車道「郡上八幡インターチェンジ」から車で15分/長良川鉄道越美南線「郡上八幡駅」からまめバス乗車10分、「城下町プラザ」バス停下車、徒歩20分
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長敬寺


「長敬寺」(ちょうきょうじ)は、重要伝統的建造物群保存地区の奥にある真宗大谷派の寺院です。

慶長6年(1601)、郡上領主の遠藤慶隆は、古今伝授の祖である東常縁の玄孫にあたる正勧坊正欽を飛騨国高山の照蓮寺から招いてこの寺を創建し、菩提寺にしたと伝わります。慶応4年(1868)、会津藩とともに新政府軍と戦った郡上藩士45名による「凌霜隊」は、会津藩降伏にともない郡上に護送され、この長敬寺に身柄を預けられました。

本堂の裏手には墓地があり、ここに遠藤慶隆の墓碑と伝わるものがあります。他に郡上市美並町白山の乗性寺にも、遠藤慶隆はじめ歴代郡上藩主の墓があります。

長敬寺
■所在地:岐阜県郡上市八幡町職人町742
■電話番号:0859-37-4000
■交通アクセス:東海北陸自動車道「郡上八幡インターチェンジ」から車で15分/長良川鉄道越美南線「郡上八幡駅」からまめバス乗車10分、「城下町プラザ」バス停下車、徒歩5分
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宗祇水(白雲水)


「宗祇水」は、昭和60年(1985)に環境省の「名水百選」第1号に選定された湧水で、小駄良川の河畔にあります。

文明3年(1471)、篠脇城主・東常縁は連歌師の飯尾宗祇(そうぎ)に古今伝授を行うと、宗祇の帰京に際してこの地まで見送りに出て、泉の水でともに喉を潤した後、「もみじ葉の 流るる竜田 白雲の 花のみよしの 思ひ忘るな」の歌を贈ったといわれています。江戸時代の寛文年間には、郡上城主・遠藤常友が修復し、歌にちなんで「白雲水」と名付けました。

宗祇水
■所在地:岐阜県郡上市八幡町本町
■交通アクセス:東海北陸自動車道「郡上八幡インターチェンジ」から車で15分/長良川鉄道越美南線「郡上八幡駅」からまめバス乗車10分、「本町」バス停下車、徒歩1分
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