高麗郡建郡から1300年を迎えた歴史の里・日高市の観光スポット
埼玉県南西部の日高市は、首都圏にありながらも自然豊かなところで、近年では首都圏中央連絡自動車道の開通により、他の都市への移動も便利になりました。奈良時代、関東一円に居住していた高句麗人を移してこの地に高麗郡を置いたと『続日本紀』にはあり、今でも市内には高麗神社や聖天院などの関連遺跡が多くみられます。
高麗神社
天智天皇7年(668)、朝鮮半島北部にあった高句麗は、唐・新羅連合軍により王都・平壌を陥落させられて滅亡し、多くの高句麗人たちが我が国に亡命してきました。これらの渡来人を束ねて高麗郡の初代郡司となったのが高麗王若光であり、没後に遺徳を偲んで建てられたのがこの神社とされています。
神仏習合の時代には「大宮大明神」と呼ばれ、聖護院を本寺とする本山派修験に属していましたが、明治時代の神仏分離によって「高麗神社」となりました。
この神社には若槻礼次郎や浜口雄幸など多くの政治家が参拝し、その後に総理大臣となっていることから「出世明神」の異名があり、今も出世開運を求めて参拝する人が絶えません。
■所在地:埼玉県日高市新堀833
■電話番号:042-989-1403
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:首都圏中央連絡自動車道「狭山日高インターチェンジ」から車で20分/JR八高線・川越線「高麗川駅」から徒歩20分
高麗家住宅
「高麗家住宅」は、高麗神社の境内奥にある、高麗神社の宮司職を代々務めてきた高麗家の旧邸宅です。
高麗家は高麗王若光の子孫を称しており、入母屋造り・茅葺き屋根の慶長年間の建築物は、国の重要文化財に指定されています。
住宅の隣には樹齢400年とされるシダレザクラの古木があり、毎年華麗な花を咲かせ風情があります。
■所在地:埼玉県日高市新堀833
■電話番号:042-989-1403
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:首都圏中央連絡自動車道「狭山日高インターチェンジ」から車で20分/JR八高線・川越線「高麗川駅」から徒歩20分
聖天院
「聖天院」は、「高麗神社」の南に位置する真言宗智山派の寺院です。正しくは「高麗山聖天院勝楽寺」といい、高麗王若光が高句麗より将来した聖天尊を祀ることからこの名があります。
天平勝宝3年(751)、勝楽上人が高麗王若光の菩提寺をつくろうとして果たせずに亡くなったため、その弟子で若光の子である勝雲が上人の遺志を継いで創建したものと伝わっています。
鎌倉時代に秀海上人が中興し、法相宗から真言宗に改められましたが、以後寺勢は隆盛し、末寺54か寺を数える大寺院となりました。安土桃山時代には円真上人が本尊を不動明王としていますが、聖天尊は現在も本堂の一隅に引き続き祀られています。
境内には室町時代の建築と伝えられる阿弥陀堂や江戸時代の山門があり、ともに日高市の有形文化財に指定されています。また、鎌倉時代の文応2年(1261)の銘がある梵鐘は、国指定の重要文化財です。
■所在地:埼玉県日高市新堀990-1
■電話番号:042-989-3425
■拝観時間:8時より17時(最終受付は16時30分)
■拝観料:大人300円、小人(小学生)150円、未就学児は無料
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:首都圏中央連絡自動車道「狭山日高インターチェンジ」から車で20分/JR八高線・川越線「高麗川駅」から徒歩30分
高麗王若光の墓
「高麗王若光の墓」は、高句麗からの渡来人である高麗王若光を祀る石塔で、日高市の指定文化財のひとつです。現在は山門の向かって右手、「高麗王廟」の額を掲げる覆屋の中に安置されています。
この石塔は凝灰岩を積み上げた多層塔で、表面はかなり風化していますが下層には四仏が刻まれており、鎌倉時代の建立と伝わっています。
■所在地:埼玉県日高市新堀990-1
■電話番号:042-989-3425
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:首都圏中央連絡自動車道「狭山日高インターチェンジ」から車で20分/JR八高線・川越線「高麗川駅」から徒歩30分