古墳から荘園・古城まで多くの史跡が存在する群馬県太田市の見どころ
群馬県太田市といえば、自動車メーカーSUBARUの企業城下町として知られる北関東有数の工業都市ですが、実は古代から古墳王国として栄え、中世には新田荘を中心に武家が大活躍した地域でもあります。太田市内にはこうした歴史や文化を伝える遺跡が今でも数多く残されています。
太田天神山古墳
「太田天神山古墳」は、東武伊勢崎線太田駅の東1キロメートルほどの場所にある前方後円墳で、墳丘の長さは210メートルと東日本最大の規模を誇っています。墳丘は3段に造成されて表面に川原石が敷かれ、水鳥形埴輪や家形埴輪、長持形石棺の破片などが出土しています。また、墳丘の周囲には2重の堀がめぐらされ、その外側には陪塚(ばいちょう:大型の古墳に附属する小さな古墳)もあります。
この古墳は5世紀前半につくられたもので、畿内に似た大型の長持形石棺を使用していることから、被葬者は大和政権と強い結びつきをもった毛野国の大首長であるとみられます。全国的にも貴重な遺跡であることから、隣接する帆立貝式古墳の女体山古墳とともに国史跡に指定されています。
■所在地:群馬県太田市内ケ島町1606-1ほか
■電話番号:0276-20-7090(太田市教育部文化財課)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:北関東自動車道「太田桐生インターチェンジ」から車で15分/東武伊勢崎線「太田駅」から徒歩20分
新田金山城跡
「新田金山城跡」は、太田駅の北にそびえる標高239メートルの金山に築かれた戦国時代の山城の跡で、文明元年(1469)に新田一族の岩松家純が築城したものです。自然地形を巧みに利用し、土塁や堀切、石垣などを設けて堅固な城塞としています。城の中心となるのは山頂付近の実城と呼ばれるエリアで、かつての本丸跡といわれていますが、ここには明治時代に新田義貞を祀る「新田神社」が建立されました。
壮大な大手虎口の石垣を挟んだ内側には「日ノ池」、外側には「月ノ池」があります。これらは池の底部に石敷きが施されており、ともに籠城に備えた貯水池とみられています。うち「日ノ池」からは戦国時代からはるかに隔てた平安時代の土馬が出土しており、古来雨乞いの祭祀にも利用されていたことがうかがえます。
「新田金山城跡」は国史跡に指定され、平成4年(1992)から発掘と保存整備事業が順次進められています。戦国時代の関東には本格的な石垣の城はなかったという従来の定説を覆す発掘成果を活かし、現在では石垣や木橋、建物などが復元されています。あわせて山麓には「史跡金山城跡ガイダンス施設」がオープンし、ジオラマや映像資料などを見ることができます。
■所在地:群馬県太田市金山町40-98ほか
■電話番号:0276-25-1067(史跡金山城跡ガイダンス施設)
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:北関東自動車道「太田桐生インターチェンジ」から(駐車場まで)車で15分/東武伊勢崎線「太田駅」から徒歩60分
冠稲荷神社
太田市南部に鎮座する「冠稲荷神社」は、伏見稲荷をはじめとする「日本七社稲荷」の一つに数えられる旧村社です。天治2年(1125)、新田氏の祖・新田義重の父に当たる源義国が伏見稲荷を勧請したのがはじまりといわれています。三間社流造りの本殿は元禄3年(1690)に再建されたもので、太田市の重要文化財に指定された極彩色の壮麗な彫刻を拝観台の上から見ることができます。
「冠稲荷神社」は縁結び・安産・子育ての御利益があるとして崇敬を集めていますが、特に樹齢400年という大きな木瓜の緋色の花が満開になる3月中旬から4月上旬にかけての時期には「春の花まつり」が開催され、全国各地から多くの参拝客が訪れます。
■所在地:群馬県太田市細谷町1
■電話番号:0276-32-2500
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:北関東自動車道「太田桐生インターチェンジ」から車で20分/東武伊勢崎線「細島駅」から徒歩20分
曹源寺
金山の北側にある「曹源寺」は、魚籃観音を本尊とする曹洞宗の寺院です。文治3年(1187)、新田義重が養女・祥寿院の菩提を弔う目的で建立した六角堂にはじまるといわれ、かつての本堂は江戸時代の火災により焼失していることから、現在は国重要文化財である観音堂をもって本堂に充てています。
「曹源寺」の観音堂は寛政10年(1798)に宮大工の町田兵部栄清により建てられたもので、俗に「さざえ堂」といわれる三匝堂形式となっているのが大きな特徴です。高さは16.8メートルで外観は2階建てですが、内部は実は3階建てであり、入口から螺旋状のスロープ及び階段からなる回廊を登って上階に至ると、同じ場所を通らずに別の回廊を下って出口まで至ることができます。福島県会津若松市の「会津さざえ堂」、埼玉県本庄市の「成身院百体観音堂」とともに「日本三堂」の一つです。
この観音堂の1階部分の回廊内壁には秩父三十四箇所、2階部分には坂東三十三箇所、3階部分には西国三十三所のそれぞれの観音霊場で祀られている仏像と同じものが安置されており、回廊を歩くだけで秩父・坂東・西国のあわせて100体の観音が巡拝できるように工夫されています。堂内修理の過程で江戸時代の落書きも発見されており、古くから盛況だったことがわかります。
世良田東照宮
太田市世良田町の「世良田東照宮」は、初代将軍・徳川家康を祀る神社で、境内を含む一帯が「新田荘遺跡」として国史跡に指定されています。
かつてこの地には新田氏の祖である新田義重が開発した「新田荘」があり、四男の義季が徳川郷・世良田郷などを譲り受け、徳川郷に館を構えて徳川義季を称するようになったことから、「徳川発祥の地」ともいわれています。その子孫は諸国を流浪の末に三河国松平郷に落ち着いて松平氏になったとされ、家康の代に復姓して徳川を自称したことから、徳川将軍家にとっても先祖の墳墓があるこの場所は重要視されました。
そこで寛永21年(1644)、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命により、日光東照宮の造替にあわせて旧社殿や宝物などを日光から移し、天海僧正が住職を務める長楽寺境内に創建されたものがこの「世良田東照宮」です。拝殿や本殿、唐門などの建築物は国重要文化財となっており、特に名工・左甚五郎作といわれる本殿の「巣籠りの鷹」の彫刻が有名です。
■所在地:群馬県太田市世良田町3119-1
■電話番号:0276-52-2045
■公式サイト:[こちらをクリック]
■交通アクセス:北関東自動車道「太田桐生インターチェンジ」から車で20分/東武伊勢崎線「世良田駅」から徒歩15分